2019年03月09日

ゲーゲルシュタットに魅せられて

今年1番目のネタは、モーツァルトのK.498『ゲーゲルシュタット』トリオです。
かれこれン十年前……。場所は確か横浜関内のディスクユニオンだったか、NAXOSという新録のクラシック音楽を1000円前後で売ってたレーベルの中で、ふと目に止まったのがこの1枚の廉価盤CDでした。


このCDの最初に収録されているK.498『ゲーゲルシュタット』トリオを初めて聴いた時、当時の自分はモーツァルトでクラリネット協奏曲と五重奏曲以外にもこんな綺麗な曲があったのか!!ってほど衝撃を受けまして。その興奮覚めやらぬうちに、どうにかして似たような曲が作れないかと10日間ほど試行錯誤して捻り出したのが、このクラリネットとピアノのロンドだったりします。

Rondo for Clarinet and Piano (1993. 10.19 - 10.30)  A=432Hz

ちょっと聴けば一目瞭然ですが、K.498の第3楽章の影響をモロに受けてますね。中間部の旋律なんかそのまんま……というか手本にしたのが正にそれで、インターネッツもパソ通もなかった当時、参考にしたくともゲーゲルシュタットトリオの楽譜なんぞどこで探せば良いのかもわからず、結局何度も聴き返して耳に憶えさせて似たような雰囲気で作ってみようと試行錯誤した記憶があります。今考えると、クラリネットに管で種類がある事すら知らないまま勢いで作ってたのだから、怖いもの知らずにも程がありますね。

この曲を作った当時、PCはX68000、作曲にはX-BasicとZMusicを使っていたのですが、このたび世紀をまたいだ四半世紀振りにWindowsで復刻となりました。
使用機材はCubase Elements 9.5、音源はUVI Orchestral Suiteのピアノフォルテとクラリネット。復刻ついでに今聴き返すとおかしな箇所を加筆・修正してみたら、あの当時自分が鳴らしてみたかった理想の形にグッと近づいた感じがしますね。

この勢いで同じ頃に作りまくっていたピアノの簡単な小品とかも、Cubaseにコンバートして鳴らしてみようかなぁ。

 
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2018年12月23日

天長節の歌

本日12月23日は国民の祝日である「天皇誕生日」、戦前には「天長節」と呼ばれていた、今上陛下の御誕生日を奉祝する日です。
それに合わせてというわけではありませんが、少し前にボーカロイドで作った奉祝の歌を、平成最後となる天皇誕生日に投稿してみました。


作詞:黒川真頼
作曲:奥 好義
編曲:ゆめみ〜あい別館
歌唱:巡音ルカV4X(Soft)

  今日の吉(よ)き日は 大君(おほきみ)の。
  うまれたまひし 吉き日なり。
  今日の吉き日は 御(み)ひかりの。
  さし出(で)たまひし 吉き日なり。

  ひかり遍(あまね)き 君が代を。
  いはへ諸人(もろびと) もろともに。
  めぐみ遍き 君が代を。
  いはへ諸人 もろともに。

戦前の天皇誕生日(天長節)を奉祝するため作られた「天長節の歌」を、ボーカロイドの歌唱にピアノと管弦楽の伴奏をつけて再現しました。 曲は、2つの8小節の旋律が各2回繰り返される構成となっていますが、ピアノパートは初回を戦前文部省発行の「祝祭日儀式用唱歌」のピアノ伴奏譜ほぼそのままの形で、繰り返しでは私の手による編曲バージョンで演奏しています。


ピアノだけの枯れた感じも捨てがたかったので、こちらは伴奏から管弦楽を抜き、初音ミクV4Xに歌わせてみました。
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2018年12月21日

消えた川の痕跡を探して

先日、かつての東浦賀道を歩いていたら、こんな古い橋の欄干跡を見つけました。

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欄干の場所はこの辺り、横須賀の三春町4丁目と大津町1丁目の境界付近で、かつてこの道路は東浦賀道と呼ばれ、明治時代は道の北側、国道16号のあたりが海岸線になっていたそうです。

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周辺を見たところ、川自体はかなり昔に埋め立てられ道路となったようですが、この一画だけぽつんと欄干と石垣だけが取り残され、かつて川が流れていた様子を窺い知ることが出来ます。

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欄干に掘られた文字は風化して読み難くなっていますが、目を凝らすと「大正十五年三月…成?」と読めるでしょうか。西暦1926年ということは、少なくとも今から100年弱前には川が流れていたことになりますね。

川跡_04.jpg

さらに欄干のすぐそばに砂坂地蔵尊という祠があり、その案内板を読むと、かつてすぐ近くに白須川が流れており、その川原から地蔵尊が発掘されたと書かれています。
ということは、あの欄干跡が白須川の橋だったことになるでしょうか。ただし残念ながら、前述のように川はかなり昔に埋められてしまった為、Googleマップなどで見ても白須川の存在は確認することが出来ません。

そこで「現在の地図で確認できないなら、もっと古い地図を探せば白須川が載っているのでは?」と、うちにある終戦後の1946年に米軍が作成した横須賀市街の地図を探してみました。
すると…

川跡_00.jpg

この地図の作成にあたり、米軍が何の地図を参照したかは不明ですが、どうやら元の地図は昭和初期頃の市街図らしく、白須川の名称こそ無いものの確かに画面中央を川が流れているのが確認できます。
これをGoogleマップの航空写真上で、川の跡と思わしき道路と重ねてみたのがこちらとなります。


中央の赤いマーカーが欄干跡で、青いラインが川の跡らしき道路(路地)になるでしょうか。
これを参考にして、後日何か痕跡でもないかと現地へ確認しに行ってみました。

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ます欄干(赤いマーカー)から南(下)へ歩いて行きますが、ご覧のように曲がりくねった路地は何となく川っぽい感じもしますね?

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さらに先へ進むと、やがて京浜急行の線路が通る土手へと突き当り、道は終わってしまいます。 ですが古い地図上では、昭和初期に線路が通った後もしばらく川は存在していたようなので、ひょっとすると草に隠れた土手の中に水路のトンネル跡が残っているのかもしれません。

というわけで、川の跡は一旦ここで途切れたため、この先の土手の反対側に行ってみます。

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線路を越えた反対側を歩いてみると、こんな感じの川だったような道がありました。おそらくこれが白須川の跡なのでしょう。

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ですが残念ながら、道の南側は1970年代後半にマンションや大津中学校が建てられてしまい、その時点で川の痕跡は一切なくなってしまいました。

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現在はマンションと中学校の敷地になっていますが、ここは明治時代から終戦にかけては海軍刑務所、終戦後から1978年まで横浜刑務所横須賀出張所となっていました。 その為、敷地内に何時ごろまで暗渠などで川が残っていたか、私が調べた限りではよくわかりませんでした。

さらに川の跡を探して最後のポイントへ向かいます。

川跡_11.jpg

場所は大津中学校を越えて、京急久里浜線の線路が通る土手を越えた南側。 この四角いトンネルは、私が知る限り刑務所だった1970年代から埋められていましたが、道路の右側を見ると、なんとなく川を埋めたような土の跡が見て取れます。

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こんな感じで、川の跡は個人宅の玄関を作る際に埋められてしまったようですが、その少し先の草木が茂っている場所まで行くと……。

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ここに来てなんと! ようやく川…というか水路のあった痕跡が見つかりました。 さらにこのちょっと先には〜

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かつて水路に架かっていた石橋の跡が! すっかり埋められだいぶ劣化していますが、ここまで白須川らしき痕跡が残っているのは、欄干を除けば恐らくここだけでしょう。ちなみに橋の先は大津公園のテニスコートの空き地となっており、戦後ずっと宅地化などされないまま放置されていたため、このように壊されることもなく残ったと思われます。

川跡_16.jpg

水路は橋のさらに先、古地図ではテニスコート方向、もしくは大津グランド方向まで伸びていたような感じがするのですが、ここから先はもう何も残っていませんでした。


そんなわけで、今回のちょっとした古い川探しは如何だったでしょうか?
この小さな水路跡が果たして白須川だったのかは確定出来ませんでしたが、現地を歩いてみると確かに古地図にあった川が流れていた痕跡を見ることが出来て、個人的に非常に興味深い散策結果となりました。
posted by acj@管理人 at 08:40| Comment(3) | TrackBack(0) | 横須賀の歴史