2026年04月25日

昭和49年の銀座・有楽町

このブログを始めたばかりの頃に投稿した昭和24年の銀座・有楽町以来の投稿になるでしょうか。偶々入手した写真に入っていた昔の東京を写した写真を1枚紹介してみます。
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こちら、少し昔の東京の夜景なのですが、キャプションが何も無いため日付も場所も不明だったりします。しかし、写ってるものをよく見ると、割と簡単に場所はわかるでしょうか。

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まず画像の左下を拡大すると「NEW TOHO - CINEMA1 CINEMA2」とありますが、これは2015年2月27日に閉館した「TOHOシネマズ有楽座」の1998年以前の名称で、これだけで撮影場所が有楽町2丁目とわかります。

同じ場所の今をGoogleMAPで確認すると〜
左のTOHOシネマズ有楽座のニュートーキョービルは解体され別のビルになっていますが、その右隣のビルは同じですね。
少し遡って2013年のストリートビューだと、解体前のニュートーキョービルが確認出来ます。ちなみにこの場所の大通りを挟んだ右側に、冒頭にリンクした昭和29年の日劇(現:有楽町マリオン)があった場所になるわけですね。

さらに↓の先にあるNEW TOHOで上映中の映画「ひまわり」は日本公開が1970年9月30日。しかしニュー東宝がCINEMA1と2に名称変更したのは開館15周年の1972年5月のことで、映画の公開と時期が合いません。
スクリーンショット 2026-04-25 095943.jpg

そこでさらに画像を確認すると〜
スクリーンショット 2026-04-25 095820.jpg
丸で囲った看板に007シリーズ映画第9作の「黄金銃を持つ男」と書かれているのが確認出来ます。この映画の日本公開は1974年12月21日、ということは写真の撮影日は1974(昭和49)年の冬頃になるわけで、上記の映画「ひまわり」は日本で再上映された2回目の公開時の看板だったというわけです。
あと余談ですが、看板上に見える3階の歯科医院は、ストリートビューでも確認出来ますが現在も歯科医院として残っているみたいで、ここで60年近く営業を続けているのは何気に凄いかもしれませんね。

以上で、この夜景写真は1974年冬の銀座で撮られたものとまでわかりましたが、最後に日付単位まで絞り込んでみましょう。その決め手となるのはここ…。
スクリーンショット 2026-04-25 100014.jpg
撮影時にたまたま流れていた電光掲示板の一瞬を捉えてますが、どうやら「九州場所(四日目)」と書かれている模様。おそらくこの日行われた相撲の取り組みの結果を表示していたと思われますが、これを頼りに昭和49年の九州場所を探すと、九州電力記念体育館で11月10日から11月24日かけて開催されていたのがわかります。そして、その4日目は11月13日の水曜日。

というわけで長々と書きましたが、こちらの画像は1974年11月13日(水)の夜の銀座2丁目で撮影されたことが判明したわけです。
スクリーンショット 2026-04-25 095709.jpg
最後に〜
実は、ここまで割とあっさり日付と場所が特定出来る写真はむしろ珍しい方で、普通はこんなあっさりと判明することは滅多にありません。このような都会の写真は自分に土地勘がなくともWeb上に画像や情報が多いので捜索が割と容易、看板やビルなどにも結構目立つヒントが散りばめられてるのが強みですね。

では、今日はここまで。次の更新は夏コミケ予告になるかなぁ。


posted by acj@管理人 at 10:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事・歴史

2026年01月07日

明治初期の安針塚!?

新年明けましておめでとうございます。
ここン年、ほぼコミケの告知だけとなってしまった当ブログですが、今年こそは少しでも他の記事も増やそうと頑張ってみようと思います。

というわけで、2026年初記事は久しぶりの昔の横須賀関連で投稿。まずは写真を御覧ください。

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これは横須賀市の塚山公園にある安針塚、三浦按針の墓と伝えられますが、実際は埋葬墓ではなく供養塔らしいですね。
三浦按針(本名ウィリアム・アダムズ)は、徳川家康の政治・外交顧問として仕え、現在の逸見町周辺に領地を持っていたことから、彼の没後この地に供養塔が建立されたのでしょう。向かって右が按針の墓で、左がその妻の墓となります。
さて、この安針塚。アダムズが亡くなった1620年から間もなくして、彼の遺言によってこの地に建てられたと伝えられますが、江戸時代を経て明治となった1870年頃になると、墓所に詣でる人もほとんどおらず荒廃していたようです。
そんな忘れられた安針塚ですが、幕末に開港した横浜の居留地のイギリス人を中心に、1872(明治5)年頃から日本におけるアダムスの痕跡探しが始まり、再び注目されることとなります。なかでも横浜で貿易商を営むジェームス・ウォルタースは、発見した安針塚とその周辺の荒廃した現状を嘆き、度々訪れては私費を投じて修復をしていたそうです。1874(明治7)年、そのことを知った当時横須賀にあった富士山ホテルの経営者、安西善六は50円(現在の約200万円相当)もの資金を提供し、ウォルタースの修復活動を支援したといいます。

前置きが長くなりました、そこで今回の本命となる写真です。

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これは去年、フランスの業者から売りに出た彩色鶏卵写真ですが、見ての通り安針塚を正面から撮った写真ですね。だがよく見てください、按針と妻の供養塔の位置が逆、右の石灯籠は火袋部分が無くなっていたりと、どうも今の安針塚とは様子が異なっています。
特に注目すべきは右奥に設置された墓碑?でしょうか、読みにくいですが拡大すると上の方に〜

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W.ADAMS TOMB - W アダムスの墓
RENOVATED Jani 187? - 187?年1月改装
残念ながら最後の一桁が石灯籠に隠れて見えませんが1870年代に改装された三浦按針の墓とわかりますね。石碑の下の方にはin charge(改装責任者)として安西善六(ともう1人は不詳)の名前が確認できます。
ということは……もうおわかりでしょうが、これは1874(明治7)年に安西善六が資金提供してウォルタースとともに改装した安針塚の写真という可能性が高そうなのです。おそらく見えない一桁の数字は5で、翌年の1875(明治8)年1月改装と彫られているのかもしれません。
なおこの墓碑ですが、私の知る限り今の塚山公園で見つからないのですが一体どこに置かれているのか……もし知っている方がいましたらコメント欄にでも書いて頂ければ幸いです。

その後、安針塚は幾度かに渡って改装されますが、1902(明治35)年に日英同盟が締結されたことを契機に大改修が行われ、1906(明治39)年12月に現在の塚山公園の原型が誕生しました。この大改修で土台の石積みや供養塔の位置(改修前は葉山方向を向いていたらしい)が今のように変わったのでしょう。

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というわけで、新年ひとつめの投稿はひょっとすると貴重かもしれない?明治初期に改装されたと思われる安針塚の写真を紹介してみました。この調子で最低月イチくらいで何か記事を投稿出来れば良いけれどなぁ。
posted by acj@管理人 at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 横須賀の歴史

2025年12月24日

C107新刊のお知らせ

年末恒例のコミックマーケット新刊告知です。

今冬C106は12月31日(水曜)”西2 う-06b「ゆめみ〜あい別館」”で参加します。 
新刊は夏に続いてWW2ドイツ軍の写真集となりますが、今回は本文16ページの小写真集で、頒布価格も半額の500円を予定しております。

Panzer Attrappen ドイツ模造戦車写真集C107新刊1.jpg模造戦車…ようするにダミー戦車ですね。戦前戦中のドイツ軍で、主に兵士の訓練用として作られたハリボテ戦車の写真ばかりを集めた写真集となります。なにぶん本文が16ページしか無いため、今回は表紙のみ紹介で中身は買ってからのお楽しみということで〜。
まぁぶっちゃけ、掲載写真の約半分がソ連のT-34中戦車を模した何かというニッチな内容なんですけれどね。

◆◇◆

それとC107はもう1冊、こちらも表1〜4込みで12ページという小冊子なのですが、2025年11月9日に横須賀で開催された「スカこれ11」に合わせた新刊を頒布します。

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これは「続・写真で見る横須賀市街」の番外編にあたり、汐入や衣笠など既刊の2冊で掲載外となった地区の一部写真を使い、当初イベント特典として配布する小冊子として制作したのですが……。こちらを手元にある残部のみですが1部500円で頒布します。
ただし、これは元々の総印刷数が50部ちょっとで、今回持ち込む部数もそれほど多くないため、もしかすると午前中に無くなってしまうかもしれませんが、その時はご容赦ください。


というわけで大晦日まであとちょうど1週間、2025年最後の日はビックサイトの西館でお会いしましょう。
posted by acj@管理人 at 20:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 同人活動