2015年08月29日

諏訪公園に置かれた謎の鉄板

横須賀の諏訪大神社に併設された諏訪公園には、いつ誰が何の目的でそこに置いたのかわからない謎の鉄板の存在が知られていました。 その由来はどうやら神社や横須賀市でも把握してないらしく、手前の最近横須賀市が設置したプレートには「以前は近くの緑が丘高校入口付近にあったこと」「戦艦三笠の鉄板ではないか」くらいの情報しかありません。
鉄板3.jpg
ご覧のように厚さ2センチ程の鉄板にはリベット穴が多数あり、砲弾が直撃したような割れ目などから見て、日露戦争の海戦で損傷を受けた装甲板の一部に見えます。ちなみに本物の戦艦三笠の装甲板は、埼玉県飯能市の東郷公園 秩父御嶽神社に一部が奉納されており、それと見比べてもリベット穴や弾痕がこの鉄板とよく似ているのがわかります。 戦艦三笠の被弾甲板(Google画像検索)
ともかく、ただの鉄板もしくは装甲板の残骸を学校や神社のような場所に意味もなく展示するわけはなく、やはり奉納(戦利)品もしくは教育目的で置かれたと考えるのが妥当でしょう。 さらに鉄板の形状や、現在その由来を知る人がどこからも出てこない状況から見て、昭和以前の日露戦争時代のものと見て間違いなさそうです。


というわけでこの鉄板、私も以前から気になって何度か写真に撮ったりして憶えていたのですが、先日なんとなく古い写真帖をパラパラとながめていた時、この1枚を見てなぜか急にその鉄板を思い出したわけです。
鉄板1.jpg
写真は明治期の横須賀海軍機関学校の敷地に展示された、日露戦争の戦利品「降伏露艦アリヨール(オリョール)艦載水雷艇」なのですが、注目したのはこの部分〜
鉄板2.jpg
厚さ2センチあるかはともかく、その形状から見た瞬間に例の鉄板が思い浮かんだわけですね。 ちなみに艦載水雷艇が置かれていた海軍機関学校は諏訪公園の目の前の横須賀軍港内にあったので、海軍が戦利品の一部として切り取り、軍国教育の一環として緑が丘高校(日露戦争の頃は八幡山小学校)に展示した可能性はあります。

とはいえ、特に何の根拠もなく写真だけ見てパッと思い出しただけなので、謎の鉄板は依然として謎の鉄板のまま…… 展示の際に併設されていたであろう由来を記した銘板か奉納した際の書類か写真でも出てこない限り、今後も謎の鉄板として諏訪公園の片隅に置かれ続けるのでしょう。 個人的にはこれ以上錆びて腐ちないよう、せめて屋根くらい取り付けて欲しいところですが、ただの鉄板じゃそれも無理だろうしなぁ。

謎の鉄板が置かれた諏訪公園の場所は、こちらのGoogleMAPから参照してください。
posted by acj@管理人 at 10:32| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
11月7日に光心寺で、長浜氏と一緒にお会いした者です。その節は、ありがとうございました。またお会いできるのを楽しみにしております。ちなみに、横須賀市の担当者から依頼されて、この鉄板について、地元の方からの聞き取りにより「三笠」のものらしい事を調査したのは、実は私だったりします(笑)。
Posted by 千葉のひこにゃん at 2015年11月11日 12:24
書き込みを有難うございます。
まさかあの場でうちのサークルの本を、しかもグランデで購入済みの方と出会うとは私も驚きました。しかもグランデの第1回ミリタリーマーケットにも来場していたとか…… もしかするとコミケのメカミリ島でも、知らずにすれ違っていたかもしれないですね。

さて、件の鉄板の件ですが。
日清〜日露戦争の頃に八幡山小学校に奉納されたらしいのは予想していたのですが、三笠のものかどうかは、私もすぐ下のドブ板通りで何回か聞き込みをしてみたのですが、今のお年寄りの世代だとよく分からないみたいでした。代わりにあの場所付近に高角砲台があったという謎の証言を得ましたが、私には事実かよくわからないです。
八幡山小学校の卒業アルバムでも出てくれば、そこに由来とともに写真が掲載されていたりするのかなぁ。
Posted by acj@管理人 at 2015年11月12日 11:13
グランデ含めて神保町とは、高校生の頃からの長〜い付き合いだったりします(大学生の頃は、神田の古本屋でバイトしてました・笑)。
また鉄板の方は、これも偶然なのですが、千葉県最初の写真師(市原市にあった菊間藩(元・沼津藩)出身)について調査している友人から、同じく菊間藩出身で、横須賀に移住して写真師になった人物がいると聞いて調査したところ、諏訪神社の近くで写真館を営業していた事が判明(海軍関係の写真の仕事もしていたようですが、関東大震災の時に、家の柱の下敷きになって死亡。そののち廃業)、その人物の孫に当たる方を探し出してお話を伺った事がありました。そこで、再度その方に鉄板の事について聞いてみましたら、鉄板のあった公園は子供の頃の遊び場で、「三笠」のものだと聞いたとの事でした。
この件については、その後、レポートにして艦船愛好家の団体の機関誌に投稿、横須賀の船友も調査してくれているのですが、これ以上の情報は、なかなか難しそうです(苦笑)。また、貴重な海軍遺産なのですから、これ以上痛まないように保存してほしいものですね。
Posted by 千葉のひこにゃん at 2015年11月13日 13:20
はじめまして。
楽しくこのページを拝見させてもらいました。
私もこないだプラっと諏訪公園へ行き、この鉄板は何だろう?と、祖母(1916年生まれ)に聞いてみました。
この鉄板とは全く関係ない話かもしれませんが、祖母が鉄板と聞いて思い出すのは、祖母が子供のころに、津軽(パルラーダ)という軍隊の船を壊すために、猿島沖に浮かんでいる津軽を魚雷でどっかんと廃船にするというイベントがあり、米が浜の海岸からみんなでワイワイと見たそうです。
その鉄板が津軽のものかは全く不明ですが、以前、その船の引き上げ品をめぐり、市会議員がたくさん逮捕されたという事件があった話も聞き、ウェキペディアで調べたら、
どうやらそんなことが本当にあったららしいです。


八幡山小学校の展示品なのか、三笠なのか、津軽なのか、想像するだけで楽しいですねっ!!

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%80_%28%E9%98%B2%E8%AD%B7%E5%B7%A1%E6%B4%8B%E8%89%A6%29


Posted by スカッ子 at 2015年12月18日 16:36
スカッ子さんの御祖母様の「津軽」の思い出は、当時を知る人が、もう殆どいないであろう現在では貴重なお話ですね。ぜひとも、そうした思い出話をまとめて、博物館に寄贈して頂きたいぐらいです。以前、船橋での戦時中の木造軍用船についての聞き取り調査中に、当時まだ中学生ぐらいだったという船大工さんから、建造したダルマ船の横浜へ曳航を手伝っていたら、沖合で大きな島のようなものの周りを二隻の駆逐艦がぐるぐる回っていた事があったそうで、後でそれが空母「信濃」だったと知ったというお話を伺った事がありますが、そうした当時身近だった体験談こそが大切であり、キチンと記録に残しておく価値のあるものだと思います(戦艦「長門」で使われていた洗面器を、今も調理道具として使用しているという浦安の料理屋さんもいました・笑)。
Posted by 千葉のひこにゃん at 2015年12月20日 13:39
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