2025年04月29日

続・再利用された旧軍施設

久しぶりにブログのアクセス解析を見たら、なにやらこちらの記事 (再利用された旧軍施設ーゆめみ〜あい日記)が参照元リンクにされていたので、12年振りになりますが追加情報など投稿してみたいと思います。

上記2013年の投稿では、偶々見つけた昭和40年代に撮影された1枚の写真を元に、今の米軍横須賀基地にあるヘリポートの場所には元々空母改装された潜水母艦「大鯨」の艦橋が置かれていたのではないかと書きました。
あれから12年、その転用艦橋の新たな写真が見つかるなど、少しずつ情報もアップデートされ、当サークル発行の同人誌にもそれらが度々掲載されたわけですが……。

まずはこの写真を見てください。
20250429b.jpg
こちらは昭和17(1942)年中頃に発行された、横須賀第2海兵団の修業記念アルバムから抜粋した1枚ですが、小銃を持って教練中の新兵達の奥をよく見ると……。
20250429e.jpg
どこかで見たような構造物が……マストらしき形状と艦橋のような建屋が、大鯨から外された艦橋のように見えるのは私だけでしょうか。これがもし大鯨の転用艦橋だとすると、昭和16〜17年の改装中に外され設置された時間的な辻褄は合うことになります。
ちなみに横須賀第2海兵団(昭和19年に武山海兵団へ改称)は、その名の通り同横須賀市の武山地区にあったのですが、この修業記念アルバムの分隊は横須賀第1海兵団の施設を間借りしていたらしく、横須賀軍港内での写真しか掲載されていませんでした。そのためこの写真も、おそらく現在の横須賀市泊町(米海軍基地内)にあった第1海兵団の教練場で撮られたものと思われます。

終戦後の昭和20年8月30日、連合軍の横須賀上陸時に空撮した写真にも、赤のところに転用艦橋が写り込んでいるのが見えます。
20250429a.jpg
さらにこの空撮写真を元に上の教練写真の撮影場所を推定すると、おおよそ青の付近になるでしょうか。この手前一帯は横須賀第1海兵団の場所にあたるため、位置的な辻褄は合うことになります。
ただし撮影場所がその教練場だとしたら、青の中央にあった海軍航海学校の校舎を兼ねた練習艦「富士」らしき姿が、転用艦橋?との間に見えないのが、ひとつ疑問点になることを付け加えておきます。あるいは、昭和17年時点では富士が終戦時とは違う場所にあった、もしくは検閲で写真自体から消されてる可能性もありますが、そのあたりの詳細は現時点ではわかりませんでした。

20250429f.jpg
教練写真とほぼ同時期に撮られた、ドーリットル空襲時の横須賀軍港では、残念ながら写真右側の湾部分が見切れており、残念ながら富士の姿を確認することが出来ませんでした。

最後に、新たに見つけた終戦後の転用艦橋の写真を掲載しておきます。
2枚とも昭和31もしくは32年頃の撮影で、こうして見ると米軍に接収されて以降、廃棄されるまでの間に再塗装や増改築が加えられていたことがわかります。
20250429c.jpg

20250429d.jpg
posted by acj@管理人 at 10:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事・歴史
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