2009年03月06日

横須賀軍港めぐり2(田浦・長浦港)

前回から少し間が空きましたが、軍港めぐり第2回は夏島より南に下って田浦・長浦港を見渡したいと思います。

他の記事へのリンクは、検索ボックスから"横須賀軍港めぐり"で参照してください。

田浦・長浦港.jpg

とは言っても、前回とほぼ同じ場所からの撮影となるのですが。


大きな地図で見る

地図画面だと右上奥の吾妻島山頂から左下へ向けての撮影となります。
戦前は軍港として栄えた長浦港ですが、江戸末期の製鉄所建設時には米軍基地のある横須賀本港ではなく、こちらがメインの候補地だったそうで、もしそれが実現していたら今の田浦町が横須賀中央のようになっていたのかもしれません。 現在は地図の地名を見てもわかる通り、一部米軍施設が残っている他は民間と海上自衛隊が共同で港を使用しています。

海軍工廠光学実験部.jpg

現在は海上自衛隊・自衛艦隊司令部。 戦中・戦前は海軍工廠光学・航海実験部のあった場所です。 外観を見ると、さすがに建造物は建て替えられているようですが、位置的には現在の司令部庁舎と同じでしょう。 航空写真で見ると、今は前の海が埋め立てられて駐車場と埠頭になっています。

潜水艦基地隊.jpg

現在の市立田浦中学校周辺は、かつて旧横須賀防備隊(終戦時は潜水艦基地隊)がありました。 手前の湾は近年埋め立てられてしまい面影は残っていませんが、戦時は司令部の前に伊号潜水艦が何隻も停泊していたのかもしれません。 もっとも当時は軍のトップシークレットの塊りだった長浦港ですから、外からそんな光景を写真で残すどころか一般人は目にすることも出来なかったでしょうけど。 なお、この画像に写っている建物は中学校の校舎として利用されていましたが、昭和40年代までにすべて建て替えられたため現存していません。

造兵部.jpg

海軍造兵部の倉庫群、このあたりは空襲による被害もほとんどなかったそうですから、倉庫はほぼ戦時中のまま残っています。 大戦中はここで3万人を超える職工が日夜働いており、艦船に供給する装備品や砲弾などの武器が集積されていました。 奥には関東大震災前に作られたとされるガントリークレーンも見えます。

関東自動車.jpg

現在の関東自動車工業あたり。

大型桟橋S27.jpg

新井掘割の出入り口付近にあるこの桟橋は、画面には写っていませんが、戦後すぐに米軍の接収が解除さた長浦の倉庫地区を緊急食糧受入港として利用するため、大型船舶が係留出来るよう作られたものです。 桟橋は昭和27年に完成したので、この画像はその約1年後の光景を写しています。


以上、ざっと田浦・長浦港をめぐってみましたが、 この地区の歴史や図版などの資料については田浦をあるく(公式ホームページ)に詳しく掲載されています。 現在の港や戦争前の写真も多数あり、それらと海から眺めた当ブログの画像を見比べてみるのも面白いかもしれません。

posted by acj@管理人 at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 横須賀の歴史
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