日露戦争で連合艦隊旗艦となり活躍した戦艦三笠は、その偉業をたたえ記念艦として横須賀の地に保存されたのですが、太平洋戦争に敗れた後は荒れるがまま放置され、それこそスクラップ解体の一歩手前のような状態まで艦体は荒廃しました。 現在の三笠は、荒れ果てたかつての記念艦の惨状を見かねた有志達によって昭和30年代に復元を施された姿であり、その復元記念式典が催されたのが50年前の1961(昭和36)年5月27日のことでした。
記事に載せる写真を撮るためその日の記念艦三笠を見に行きたかったのですが、残念ながら平日ということもあり三笠公園まで行く時間をとることが出来なかったため、画像は2009年に撮影した写真です。


復元され、各種艤装も元通りとなった記念艦三笠です。
今のこの姿からは想像も出来ませんが、太平洋戦争後すぐに三笠=戦前軍国主義の象徴を否定するかの如く、大砲類や煙突・艦橋など上部構造物が撤去され、その上には水族館やダンスホールが建つレジャー施設となっていたのです。 しかしそんなレジャー施設も長くは続かず、昭和30年代に入ると三笠は誰にも顧みられることなく荒れるがまま放置されていました。
下の写真は保存会によって復元される以前の、荒廃しきった頃に撮影された数少ない三笠の姿を写した1枚です。

昭和28(1953)年頃に撮影された記念艦三笠。
時期的には日本が戦後復興と朝鮮戦争による特需に湧いてた頃なのですが、実は復興による鉄鋼需要のため、心無い輩により残っていた三笠の備品類が鉄スクラップとして数多く持ち去られてしまったそうです。 上写真の現在と比較すればわかりますが、上部構造物や艦側面の速射砲はなくなり、代わりにダンスホールのカマボコ状の屋根が見えています。
ちなみにこの写真を撮影したのは当時の米海軍士官なのですが、あろうことかキャプションには「Russian Battle Ship」と書かれており、軍の将校でもその程度の関心しかなかったことが伺えます。
昨日の式典では、三笠保存会の会長が「三笠復元の目的は、日本人として自尊自重の精神、誇りと自信を取り戻すことにあった」と訴えたそうですが、この荒れ果てた三笠が敗戦で誇りと自信を失った当時の日本国民の象徴だとするなら、今後再び三笠をこのような姿に戻すことは絶対にあってはならないと、あらためて思うのでした。
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