今日は久しぶりに軍事のネタで珍しいものを〜
1939年9月、第二次世界大戦勃発のその時まさに大日本帝国軍艦『長門』の艦内で発行されていた艦内新聞で、およそ80号くらいのセットで1冊に綴じられています。
艦内新聞とは旧海軍の艦船で発行されたミニコミ紙で、当時乗艦していた腕に覚えのある乗組員数名が編集兼発行人となり、航海中にガリ版刷りの新聞を艦内で配布(販売)していたそうです。 今回紹介する長門下甲板高角発令所内で編集・発行された『長門新聞』は、太平洋戦争前の1939年発行ということもあってか、勇ましい戦況報告や国威発揚の色合いは薄めで、どちらかというと艦内の日常業務や停泊地でのちょっとした出来事、読者(乗組員)による投稿作品といったほのぼのとした内容が多くを占めている感じです。
そんな中でも目立つ記事といえば、男ばかりの世界である軍艦ですから、やはり女性を題材にした記事や挿絵の割合が多くなるのは必然でしょうか。 この艦内新聞でも絵心のある水兵2〜3人が持ち回りで美人画…というか、これは今で言う萌えイラストの元祖みたいなものですね。 様々な女の子のペン画イラストが誌面に登場しますが、これらは今の自衛隊でも見かける萌え広報イラストやパーソナルマークへと、世代や組織を超えてなお脈々と受け継がれているのかもしれません。
今の萌えイラストに慣れた身としては鼻の描き方にどうしても違和感を覚えてしまいますが、当時の映画女優のような髪型や服装など、割と正統派の美人画っぽいタイプですね。
スキーをする女性は当時流行の最先端? ストックが竹製なのが時代を感じさせます。
お団子っぽい鼻の形状を少し手直しすれば、ひと昔前の少女漫画の挿絵イラストと言っても十分通用するかもしれません。 数ある美人画の中でもこの1枚だけ髪の描き方がちょっと違っていて、思わず上からホワイトで横に風になびくラインを入れたくなってしまいます。

この絵師(第4分隊の一等水兵らしい)はおかっぱ少女フェチ… というか、これが当時の標準的な少女の髪型だったのでしょう。 セーラー服にブレザー?という少女と制服の組み合わせは、いつの時代も変わらぬ萌えの基本形態であります。 それにしてもこの絵師は、挿絵にする題材も10代の女の子が大半という嗜好の徹底振りといい、もし今の世なら萌え萌えな薄い本をバリバリ描く人気壁サークル作家になっていたかもしれません。
だがしかし〜
軍艦乗りは健康第一というのはよくわかりますが、なぜそれを少…幼女で表現する必要があるのか。 よく主任編集員の士官(中甲板士官の持ち回りだったらしい)の校正チェックを通ったよなぁw
読者投稿のポエムに挿絵をつける、ちょっと前の投稿系アニメ誌の元祖みたいなコーナーもあります。 長門新聞では編集室の前に投稿箱を設置して、水兵達が書いた川柳や自作短編などを投稿してもらい掲載するコーナーを設けており、だいたい20号に1度くらいの割合で投稿を集めた号外を発行することもあったようです。 
帽子に『な・が・と』の3文字が書かれた3人娘、これはマスコットキャラの元祖みたいなものか? これが進化して行き着くところまで行くと、MCあくしすの軍艦擬人化イラストに〜 なるのかなぁ。
というわけで、今回は艦内新聞に描かれた数多くの美人画の一部を紹介してみましたが、長期の遠洋航海などの際に艦内で新聞を発行する習慣は、今の海上自衛艦でも受け継がれているのでしょうか。 今は乗組員同士でSNSやTwitter、メールで遠く離れた故郷の家族とも一瞬で文字のやり取りが出来る時代ですから、あえて新聞という紙の形態にこだわって発行する必然性は薄くなっているかもしれないですね。
これは艦これの元祖になるかも? 戦前の艦内絵師(水兵)が描いた愛宕の擬人化が艦内新聞から見つかりました。
続・萌える艦内新聞

