2016年03月11日

横須賀の今と昔(14) 新日本風土記「横須賀」放映記念

継続は力なりと言いますが今年で8年目、もはやライフワークとなった感もある、横須賀市内の今と昔の場所を撮影して記録する作業ですが、すでに撮影場所は100箇所を超えてなお、今も月ペースで増え続けていたりします。

今回は最近撮った写真の中からその一部を、新日本風土記「横須賀」放映記念ということで、上下分割した今昔写真に加工してみました。
上が現在で下がおおよそ1950年代前半です。

横須賀今昔写真

割合的には、やはり当時の米兵が数多く撮影した朝鮮戦争期のドブ板通りが中心になりますね。当時カラー写真は、個人だと米軍兵士くらいしか撮影できなかったので、被写体が彼らがよく行った歓楽街や酒場などに偏ってしまいがちなのは仕方ありません。
ちなみに彼らが勤務していた軍港や米軍基地内については、ある程度の形にして当サークルの同人誌で発表済みだったりしますが、基地内の今の写真を撮るのが難しいため、ライブラリ化はなかなか進まないのが現状ですね。

横須賀今昔写真

ローズ商会は今も営業している店舗ですし、周辺の建物自体も割と当時のまま残っているので、まだそこまで劇的に変化したようには見えないでしょうか。

横須賀今昔写真

逆に劇的に変化したのは汐入駅前ですね。このあたりは1990年代の大規模再開発で旧EMクラブが取り壊され芸術劇場やショッパーズが建てられたりと、古い建物が軒並み姿を消したので、もはや写真の中にしか昭和の風景は残されていません。
この写真も、奥に見える店の窓と京急線のトンネルが写っていなければ、正確な位置が特定出来なかったと思います。

横須賀今昔写真

ショッパーズ駐車場出入口前から汐入駅方向を撮影。中央の奥に市民会館が健在なので、年配の方が見ると懐かしくなる光景かもしれないです。右端の古い店舗は、現在も銃砲店として健在ですが、その右横の旅館新井閣は取り壊されて今はガストの入ったビルになっています。

横須賀今昔写真

最後に懐かしいさいか屋の2代目ビル、右の三笠通りアーケードが完成する前の時代の撮影です。現在さいか屋の跡地は駐車場となり、奥にはタワーマンションが2棟と、ここも半世紀で景色がだいぶ変わった場所のひとつですね。


というわけで、ちょっとだけでしたが横須賀市内今昔写真はいかがだったでしょうか。
実はこれら画像のように、上下に今と昔の写真を並べて1ページにしたのを集めて、いつかサークルで同人誌にしてもいいかなと思っているのですが、なかなか実現までの道程は遠く……これら集めた写真が活用されるのはもう少し先のことになりそうです。

posted by acj@管理人 at 10:04| Comment(3) | TrackBack(0) | 横須賀の歴史

2014年03月16日

横須賀の今と昔(13) 根岸町の庚申塔

すでにタイトルでネタバレになっていますが…
今回は「まさかこんな場所のカラー写真が残ってたの?」というようなネタです。

根岸の庚申塔2.jpg
まずこの画像ですが、昭和20年代後半に撮影された田んぼの写真で、これが横須賀周辺を撮影した一連のフィルムの中の1つでなければ、横須賀とすら気づかず永久にスルーされていたでしょう。 ただし横須賀市内とわかっていても、単なる田植えの情景から撮影場所まで特定するのは容易ではありません。

そう、普通なら…

しかしこれを御覧ください。
根岸の庚申塔3.jpg
画像の左上に写っていた庚申塔、今回はこれが撮影場所特定の決め手となりました。
下は現在の同じ庚申塔を撮ったものですが、この配置と並びを比べると一目瞭然ですね。
根岸の庚申塔1.jpg
この庚申塔を解説した市のWebサイトを参照すると、現存する15基の庚申塔は享保9年(1724)から昭和47年までに建てられたもので、今の写真の前列右から4番目(一番背が高い)の庚申塔が、昔のフィルムの左端に写った庚申塔になるわけです。 (その左隣りの庚申塔は昭和47年建立で、フィルム撮影時には存在していない)


より大きな地図で 根岸町の庚申塔 を表示
現在の場所は根岸町1丁目となりますが、航空写真で見ても田んぼなど影も形もなく、庚申塔がなければ絶対に特定することは出来なかったでしょう。

根岸の庚申塔4.jpg
現地の撮影場所付近から〜
庚申塔はミニストップ裏の路地にあり、駐車している軽トラックの正面付近がその位置になります。

それにしても、文献や終戦直後の米軍が撮影した航空写真で、かつてこの周辺が田んぼだらけだったことは知っていましたが、やはりカラーそのままで情景を見せられるとインパクト違いますね。

posted by acj@管理人 at 14:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 横須賀の歴史

2014年03月09日

横須賀の今と昔(12) ティボディエ邸

企画展「よみがえるあの時の横須賀」の開催期間中ということで、当ブログの"横須賀の今と昔"記事を、開催期間に合わせて投稿してみることにしました。

というわけで今回は、2003年に移築のため解体保存されたものの、市の財政難などの事情から10年以上経った現在も再建の目処が立っていない、ティボディエ邸を取り上げてみたいと思います。
まず横須賀といえば、幕末の製鉄所建設から現在の米海軍基地に至るまで、軍港とともに発展・繁栄してきた、軍港とは切っても切れない地域なのですが、だからといって市が軍事に関連する物や遺構を保存することに積極的かといえば、近年の元軍施設や軍事遺構の扱いを見る限り、かなり疑問が残ると言わざるを得ません。 ティボディエ邸については、一昨年前あたりから地元市民の有志が集って、早期再建の実現に向けて、市役所や市議会へ積極的に働きかけているそうですが、これも果たしてどうなることやら…。 なにしろこういう前歴のあるお役所が絡む事業ですから、完成したティボディエ邸の軍港資料館から、いつの間にか第二次世界大戦と帝国海軍に関連するものが勝手に排除されてた 〜なんてことにならないことを祈るばかりです。

さて、東日本最古の洋風建築物といわれるティボディエ邸は、旧横須賀製鉄所副首長官舎として1869(明治2)年頃に建築され、終戦後も2003年に解体されるまで米海軍基地の片隅に存在し続けていました。 そこで私のコレクションの中にも、もしかすると誰かが撮影したティボディエ邸の写真があるのではないかと、探してみたところ…
ティボディエ邸1.jpg
1枚だけですが、丘の下から撮影したティボディエ邸のカラーフィルムを見つけました。 もっとも撮影者は桜を撮りたかっただけで、そこに偶然写り込んだだけなのかもしれませんが…。
フィルムにキャプションはないのですが、撮影年代はおそらく1955〜56年(昭和30年)頃、桜が満開なので季節は3〜4月で間違いないでしょう。
ちなみに、Googleマップで現在の撮影場所を確認すると〜

右の青いマーカーがティボディエ邸のあった場所で、撮影者は左の人マークの位置からカメラをマーカーの方へ向けて撮影しています。 画像中央に写った長い階段も現存しているようです。

ティボディエ邸2.jpg
対岸の高台から撮影した、2009年のティボディエ邸の跡地周辺。
老朽化が進んだティボディエ邸を解体した後は、特に何かの目的で使われることなく、そのまま更地となった高台だけが今も残されているようです。 フィルムの中で満開の花を咲かせていた、桜の木も残っているのかな?
posted by acj@管理人 at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 横須賀の歴史

2014年02月12日

横須賀軍港・鎮遠号観覧之図

年明け最初の古書店巡りに出掛けた先で、こんなアイテムを見つけて購入しました。

鎮遠号観覧之図.jpg
横須賀軍港鎮遠號観覧之圖 (画:尾形月耕 発行:明治28年8月)

画像はスキャンしてカラープリントしたものですが、原版はA4サイズを1周りほど大きくした版画3枚を横に並べた迫力ある錦絵で、これらは日清戦争の戦況を日本の国民へ伝える、報道写真としての一面も持っていました。 詳細については日清戦争錦絵で検索して頂ければ、沢山の錦絵をWeb上で見ることが出来ます。

今回私が購入した錦絵は、黄海海戦で
日本海軍に接収された清国海軍の戦艦「鎮遠」が、明治28年7月28日に横須賀へ回航した際に一般公開された時の情景らしいのですが、実はこの錦絵の元となったかもしれない写真が、偶然にも去年出した新刊「写真で見る横須賀軍港」に収録されていまして〜

横須賀造船所写真.jpg
上は5ページ口絵を部分拡大したものですが、中央の軍艦が鎮遠で、その隣の艦船と並んだ構図や背景の山の位置もよく似ていて、ひょっとすると観覧図はこの場所で行われた際に描いたものかもしれません。 ただし、錦絵では写真の右側岸壁に設置されていた30tクレーンが左奥に描かれている点から、一般公開時は湾のもう少し奥(写真だと右手前方向)に碇泊していたと思われます。

この錦絵があと半年早く入手出来ていたら、5ページ下写真か裏表紙でカラー掲載したのですが、今のところは増補・改訂等の予定もないため、とりあえず日記で使用してみました。 
posted by acj@管理人 at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 横須賀の歴史

2013年04月25日

横須賀の今と昔(11) 文化会館の見える高台

今日はちょうど3年前のこの日(2010/4/25)に現地で撮影場所を特定した記念?として、その時の元ネタの1枚を選んでみました。

文化会館1.jpg
撮影年代は1970年前後、一見するとなんの変哲もない丘の上から撮影した住宅の風景ですが、これはおおよその場所はわかっていたものの、正確な撮影場所を特定するのに結構てこずった1枚でした。 古い写真から今と昔の撮影場所を探すのが困難〜迷宮入りとなるのは、実はこういう「なんの変哲もない」写真が圧倒的に多く、特に日本では山の形や住宅はたった四半世紀で大きく姿を変えることがあるため、地図(航空写真)上から大まかな位置を推定することすら困難になることがあります。
幸い、この写真には中央の奥に今と撮影日を繋ぐ特徴的な建造物があったため、今回はそれを目印に撮影場所を探すことが出来ました。

文化会館3.jpg
目印のアップ
これは深田台にある横須賀市文化会館で、増改築は行われてるものの建物自体は今も変わらぬ姿で残っています。 特にわかりやすい特徴が右側の5本の柱の部分で、この柱の見える角度から大体の撮影方向が地図上で絞り込める可能性が高そうです。


まず地図で確認したところ、右の建物の屋上にある灰色っぽい部分が柱の部分で、そこから左に線を引き塗りつぶしたおおよそ三角の範囲が撮影方向ということはわかりました。 ここまでわかれば、あとは地図上で地形のあたりをつけて確認するだけなのですが… 候補地となりそうな場所の大半は、細い路地や丘の上でGoogleのストリートビュー未対応になるため、直接現地へ行きこの目で確かめるしかありません。


そこで、まずは文化会館が一望できる高く見晴らしのよい場所を探しつつ北側から確認していきますが〜

文化会館5.jpg
ここはやはり建物の見える角度が左過ぎて、撮影場所はずっと南(地図では下)だったことがわかります。


それでは、先ほどの地点より南へ下って、次はうわまち病院横の坂道から文化会館の方向を見てみました。 実はここまで下りて来る途中、はまゆう公園や横須賀市立図書館の付近も数箇所確認したのですが、どこも文化会館を一望できる場所がなかったので省略しています。

文化会館6.jpg
柱の角度は写真と一致するので、どうやらこのあたりの方向から撮影したのは間違いないようです。 が、この位置だと文化会館の距離が近すぎるため、実際の撮影場所はもっと離れていたと思われます。
*ちなみに最初の調査はここで時間切れとなり、帰宅して地図の再確認〜後日再び現地へ行きなおしてます。


先のうわまち病院の地点から角度そのまま、左方向へ距離をとっていくと〜


トタン屋根の色こそ違いますが、写真手前の赤い屋根とよく似た家を1軒発見しました。 地理的にも丘…というか山でしょうか、かなり見晴らしの良い高台みたいですが、当然ストリートビューの範囲外。 現地へ直接行ってこの目で確かめるしかありません。

というわけで後日(それが3年前の今日!)、この場所にあたりをつけて行ってきました。

文化会館2.jpg
家が建ち並びだいぶ変わってしまいましたが、写真と見える景色の構図はそっくりです。

文化会館4.jpg
手前に新しく家が建っていたため正確な撮影場所に合わせることは出来ませんでしたが、文化会館の角度・距離もほぼ一致、どうやら40数年前の撮影場所はここで間違いないようです。 なにより手前のトタン屋根の家がほぼそのまま残っていたのは幸運でした。 これがなければ特定にはもう少し時間が掛かったことでしょう。

しかし撮影しに来てあらためて思ったのですが、写真の元所有者の米兵は何の目的があってこんな高台までやって来たのでしょう。 米軍の施設が近くにあるわけでもなく、街からも離れたこんな場所ですからふらりと観光で立ち寄るとも思えませんし… 位置を突き止めたらさらに謎が生まれてしまったという感じがしますね。

文化会館7.jpg
この場所に半世紀前なにかがあったのか…

posted by acj@管理人 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 横須賀の歴史