2013年04月11日

写真集を買う

先月、横須賀・三浦の昭和時代に撮影された写真を広く集めて編集した横須賀・三浦の昭和という書籍が限定2,000部で販売されたことを聞き、とりあえず似たような趣旨の同人誌を作ってみたいと検討中だったこともあり、参考資料として1部購入してみました。 刊行記念特価とはいえ9,990円の出費はちょっと痛かった…
横須賀・三浦の昭和.jpg
ざっと内容を見てみたところ〜
A4サイズのページ数280で掲載写真数は約600、だいたい1ページに2枚ずつ写真が掲載されているので、写真自体のサイズが大きく見る資料としては及第点をクリアしているでしょうか。 地元郷土史家に発注したという写真解説は多くもなく少なくもなく、集合写真のような個人写真なども多数掲載していることもあり、全体的にあまり突っ込んだところまでの記述はありませんが、撮影年代や場所のキャプションはすべてに(わかる範囲で)しっかり記載してあるので、読む資料としてもそれなりに使えそうな感じです。
ただ残念なのは掲載写真の多くが昭和30年代〜昭和40年代以降のもので、昭和20年代以前は日本人のカメラ所有率自体が低かったせいでしょう、戦後〜昭和20年代の写真の中には米国公文書館や市役所から貸し出された写真も含まれています。 さらに昭和1桁の戦前・戦中になると、三浦半島全土に施かれた要塞地帯法の影響もあり掲載数はもっと少なくなるようで、280ページのうち50〜60ページほどが戦前〜戦中に割り当てられていますが、 地形や軍施設が写り込まない背景のない集合写真の割合が多くなります。 これは市役所が刊行している写真集なども同じで、自由な写真撮影が規制された状況下では仕方のないことと思って諦めるしかありません。
あとは予算の都合もあるのでしょうけれど、昭和40年代以降のカラーとおぼしき写真もすべてモノクロで掲載されてしまっているのが勿体無かったと思いました。(カラーは巻頭8ページのみ) 
 
ともあれこの写真集、お値段少々高めなもののまとまった数の様々な年代や場所の写真が見れる資料として、手元に1冊持っておいても損はないでしょう。 惜しむらくは写真と一緒に地図を併載して、どのあたりで撮影されたか目で見てすぐわかるようになっていれば、地元の人以外が購入しても楽しめる本になったと思いましたが、この点はいつか自分で同人誌を出すときに考慮してみたいですね。
posted by acj@管理人 at 09:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 横須賀の歴史

2012年07月21日

安浦映画劇場

今の時代、大抵の事はブラウザからクリック1発で調べられる便利な世の中になりましたが、時としてWeb上でいくら検索しても”かすりもしない”難問に当たることがあります。 今回はそんな中から1枚の白黒写真を〜

安浦ピカデリー?.jpg
「安浦映画劇場」と看板のある1枚の写真は、終戦直後に東京湾へ進駐した戦艦アイダホの元乗組員から出てきたものらしいのですが、裏書きなどはなにもなくその事実関係がはっきりしません。 東京湾で安浦というと、写真は横須賀の安浦町で撮影されたと考えるのが普通なのですが、安浦の映画館でいくら調べても画像は出てこないし、かつて安浦にピカデリーという劇場が存在したという情報くらいしかありません。

安浦ピカデリー?ポスター.jpg
映画館の正面を拡大すると、おそらく1941年公開の日活映画「次郎物語」のポスターが確認出来るので、時期的には終戦直後で間違いないのでしょうが・・・ もしここが安浦町なら、県立大学駅前の通りを平成町方向へ歩いた途中の、国道沿いのどこかにピカデリーは存在したらしいですが、現在いくら現地で探してもその痕跡すら見つけることは出来ません。

横須賀?.jpg
ちなみにこちらも、映画館の写真と同じロットに含まれていた1枚ですが、ありきたりな情景過ぎてヒントにもならないですね。

posted by acj@管理人 at 17:24| Comment(6) | TrackBack(0) | 横須賀の歴史

2012年05月23日

浦賀道の老舗八百屋

数年前からその前を通るたびに気になってはいるものの、いまだ手付かずのまま先延ばしにしている案件。

八百幸01.jpg
安浦町から聖徳寺坂を上った浦賀道沿い、横須賀市田戸台で今も営業している、古くて重厚な造り(出桁造りというそうです)が目を引く八百屋さん。 この店舗は関東大震災後の昭和初期に建てられたそうで、2階手摺にある八百幸(やおこう)本店という屋号からもわかるように、本店から少し離れた上町の中里商店街に1店、今も営業している八百幸の屋号を持つ支店があります。

私がこの八百幸に興味を持ったのは、先日記事にした平野陶器店と同じ帳簿にあった1枚の請求書からでした。

八百幸02.jpg
昭和12年6月20日、軍艦長門士官次室へ糧食品代金52円59銭で切られた請求書に、八百幸商店という文字を発見してから、ほどなくして田戸台の八百幸本店を見つけたのですが、現住所と請求書の住所で場所が一致しないのに気が付かれたでしょうか?
請求書にある横須賀市元町は現在の本町(ドブ板通り)付近の旧町名ですが、田戸台の本店・上町の支店と場所の繋がりはなく、現在のドブ板通りに八百幸という青果店はありません。 場所的におそらく太平洋戦争末期の建物疎開で指定区域となり、1944〜45年頃に店舗は取り壊され消滅したのでしょう。

関東大震災前、大正時代発行の地図には〜
八百幸03.jpg
おおよそ現在のドブ板通り本町商店会館あたりで営業していたようですが、この地図には田戸台と上町の店は記載されておらず、地図裏の一覧表にも八百幸という青果店はここだけしか書かれていません。

八百幸04.jpg
現在の八百幸本店は、地図が発行された後に発生した関東大震災の教訓を生かして、出桁造りの頑丈な店舗として田戸台に建てられたそうなので、ここにはまだ載っていない(=存在していない)のでしょう。 屋号の下に書かれた「田島此次郎」という名前は、請求書にある「田島正元」と苗字が一致するので、少なくとも請求書の八百幸商店は大正から昭和12年時点まで、ドブ板通りで営業していたことがわかります。 
現時点でこの八百幸と田戸台の八百幸本店が繋がる明確な証言・証拠は得ていませんが、もし同じ系列だとすれば田戸台の八百幸が昭和初期から本店となっているのは、かつてドブ板通りに支店があった名残で、ドブ板通りの八百幸商店の本店機能が、震災後に田戸台へと移転したのだと思われます。 さらに海軍・官公庁御用達の看板を掲げていたりする点からも、当時は今よりずっと規模の大きな青果店であったのだろうと推測されます。

以上、私個人で調査できるのはここまでで、さらに精度の高い情報を得たければ、八百幸本店で関係者にお話を伺うしかありません。 しかし、さすがに趣味の延長だけで全く面識のない個人宅から込み入った話を聞きに行くわけにもいかず、結局今に至るまでそのまま手付かずで保留したままになっていたりします。
本来こういった郷土の調査は個人でなく、役所などの公的機関が事業として行えばスムーズに事が運ぶと思うので、私がここに掲載した請求書や地図情報はすでに横須賀市へ提供済みだったりします。 いずれそれらを元にして、市が何らかの調査〜編纂をしてくれるでしょう・・・と、期待したいですね。
posted by acj@管理人 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 横須賀の歴史

2012年05月19日

消えゆく昭和の商店

今年に入って横須賀中央さいか屋ビルの取り壊わされ、先月ついに西友横須賀店が40年の歴史に幕を降ろしました。 
横須賀で生まれ育った方なら何がしらの思い出が詰まっているであろう、かつての横須賀中央の象徴でもあった2大ショッピングセンターの消滅は、昭和から続く街の歴史にひとつ大きな区切りを打った感もありますが、実は私たちが普段何気なく通り過ぎている商店街や路地裏でも、それこそ何十年〜戦前から続いた昭和の歴史が、あまり知られることなくひっそりと、しかし確実に消えつつあることをご存知でしょうか。

今日はそんな昭和から続く歴史に幕を降ろした、おそらくこんなブログでもなければ取り上げることもないであろう、1つの商店を紹介します。

平野陶器店01.jpg
画像は今から70年前!の横須賀中央で発行された、軍艦長門の士官次室に宛てた領収書です。
昭和12年6月18日 横須賀市山王町三十七番地「陶器商 平野丑之助」と書かれた領収証は、平野本店という陶器店が長門士官次室へ、硝子製ミツマメ丼(みつ豆グラスと思われます)を3円30銭で納品した際に切られたもので、住所として書かれている山王町とは現在の良長院付近の旧町名になります。

この平野本店ですが、他の領収書にあったずっと大きな魚屋や精肉店、乾物屋といった商店が軒並み所在不明で、実店舗もとうの昔に姿を消し痕跡の確認すら出来ない中、なんと川嶋紙店やヤジマレコードといった老舗店と並んで、21世紀まで営業していた数少ない商店の1つだったのです。

平野陶器店02.jpg
2009年7月撮影
店の場所は三笠通りのさいか屋側出口からしばらく歩いた、旧ファミコンショップ・トップボーイ(わんぱく)の隣でしたが、残念なことに私が領収書を入手したのとほぼ同じ時期に店は閉店したらしく、写真を撮りに行った時には工事の幕が張られ、店舗の取り壊しを待つばかりとなっていました。
そして今年・・・

平野陶器店03.jpg
かつての店舗跡地は隣のトップボーイの跡地と並んでコインパーキングとなり、戦前から続いた商店はひっそりと姿を消していました。

個人的にとても悔しいのは、場所柄この陶器店の前を過去何度となく徒歩や自転車で通っていたはずなのに、領収書でその存在を知っても、店の写真はおろか記憶の中にすらどんな店だったのか全く残っていなかったことです。 そのため、これ以上のことを書くことが出来ず没記事の1つとしてお蔵入りしていたのですが、さいか屋・西友の取り壊しを機に、そのすぐ近くでもほとんどの方に知られることなく、数十年の歴史に幕を降ろしている店や建物があることを再確認する意味で、復活掲載してみました。
posted by acj@管理人 at 18:16| Comment(5) | TrackBack(0) | 横須賀の歴史

2012年05月16日

キャプションの落とし穴

以下に貼った1〜4の画像は、いずれも横須賀とキャプションの書かれたものや、横須賀を撮影したフィルム・ロットの中に含まれていたものですが・・・。

それでは、この中で本当に横須賀で撮影した写真はどれで、何枚あるでしょう?

横須賀?1.jpg
1

横須賀?2.jpg
2

横須賀?4.jpg
3

横須賀?5.jpg
4



*-*-*-*-*-*-*



正解は〜

すべて横須賀ではありません

以下解説

1
目立つ英字看板に、裏路地風の雰囲気からドブ板通りにも見えますが、なんとなく色合いというか空気感が違うような・・・ 加えて路地に引かれた白線ですが、ドブ板通り周辺でこんな目立つ白線があったでしょうか。 と、もし上画像だけでここまで推理できれば大したものです。
そして決定的なのが右の電柱〜
横須賀?1a.jpg
撮影場所は横浜の関内駅付近と思われます。

2
これは、中途半端に本町周辺の歴史を知っていると騙されてしまいがちかもしれません。
フィルムのマウントには「YOKOSUKA STREET」とばっちり書かれており、中央の荷馬車は、とある横須賀の写真集に朝日屋旅館から諏訪大神社への坂を上る、似たような荷役風景の写真が掲載されています。 そして後方に見える煙突ですが、当時のドブ板通りで目立つ煙突といえば、その朝日屋旅館の近くにあった銭湯「大黒湯」の煙突? 本に掲載された当時の写真と場所もなんとなく一致するし、路地の雰囲気もそれっぽい・・・ しかし写っている洋品店や旅館の名前は地図にない。 
実際私もしばらくわからなかったのですが、その正体はスキャナを新しくしてより精細な画像を作れるようになって判明しました。
横須賀?2a.jpg
「岩方通四丁目三番地 呉」 現在の広島県呉市、呉港の近くだったわけです。

3
所狭しと並んだ看板建築、右後方には電車の駅らしき屋根が見えていて、これもフィルムのマウントに「YOKOSUKA」の文字。 ということは京急汐入駅横のあそこなのか?? と考えてしまう方もいるかもしれません。 しかしこれも1つ看板をアップにしてみると〜
横須賀?4a.jpg
改めて場所を書くまでもないか。 他の看板の電話番号も(57)から始まるものばかりなので、間違いなく横須賀ではありません。

4
1947年撮影、横須賀本町の写真ロットに数枚混ざっていた中から選んだキャプション不明の1枚。
花輪の下にセントラルの文字が見えるので、もしや横須賀セントラル劇場前!?と、早合点してはいけません。 その横の店名までよく見ると〜
横須賀?5a.jpg
贈:佐世保商和組合、場所は長崎県佐世保市というわけです。


このように、同一ロット内や撮影者が直接キャプションを書いたものでも、それだけを鵜呑みにするのはとても危険ということがわかる4枚を紹介してみました。 どんな写真でも、最後はやはり直接自分の目と足で調べるのが重要かつ確実というわけですね。

最後におまけ
横須賀?3.jpg
2と同じロットに入っていた1枚で、これも「YOKOSUKA STREET」とキャプションが書かれていますが、さてどうでしょう、横須賀に見えるでしょうか?
posted by acj@管理人 at 11:21| Comment(4) | TrackBack(0) | 横須賀の歴史