2012年05月09日

横須賀の今と昔(10) うぐいすの鳴く坂道

記事タイトルでピンときた方もいるかもしれませんが、第10回は前々回の大勝利山から中里商店街へ抜ける浦賀(うらが)道の途中にある、うぐいす坂(上町1丁目36付近)を訪れました。


うぐいす坂の場所はGoogle地図上の青いラインあたりで、京急横須賀中央駅から平坂を上り、上町1丁目交番前を右折、中里商店街を抜けた先になります。
 
うぐいす坂から5.jpg
まずはスタート地点の、地図マーク下(うぐいす坂 坂下)から坂上方向へ向かって歩きます。 画像ではわかりにくいかもしれませんが割と細く急な坂道で、自転車で一気に坂上まで駆け上ろうとしたらかなりきついかもしれません。 さらに昭和以前は整地・舗装もされていなかったでしょうから、今よりもっと歩くにはきつい坂だったと思われます。
ちなみにここから先の浦賀道を通れば、聖ヨゼフ病院横から諏訪大神社〜汐入方面へと抜けることが出来ますが、途中一部の道が階段になっており、車では抜けれないのでご注意を〜 坂上からうっかり奥まで入り過ぎるとUターンするスペースもなくなるので、ここまで戻ってくるのにひと苦労することになります。

うぐいす坂から6.jpg
地図マーク中(うぐいす坂 案内板)
坂の途中に横須賀市が建てたうぐいす坂を紹介する案内板があります。 案内板には「うらが道のうち、この周辺は鬱蒼とした樹木で覆われ、うぐいすの鳴く音(ね)が絶えないので、特にこの坂は「うぐいす坂」と呼ばれていた。」と書かれていますが、現在は見ての通り宅地化が進み完全な住宅街となっており、鬱蒼とした樹木の中を通る坂道といった雰囲気はありません。 ただ、訪れた日が4月だったせいか、歩いていると坂道途中に一部残った樹木のあたりからうぐいすの鳴く声が時折聴こえてきて、まだまだうぐいす坂の由来は健在だなと感じさせられました。

うぐいす坂から7.jpg
画面左側の路上あたりが地図マーク上(うぐいす坂 坂上)です。 ここまで上ってきて、今来た道を振り返って1枚〜

うぐいす坂から4.jpg
手前に家が建っているため全体像を把握しづらいのですが、画面右下から左に向けて歩いた道がうぐいす坂になります。 戦後しばらく鬱蒼としていた樹木は坂の途中の一部を残すのみで、それこそ案内板がなければ浦賀道ということも一見してわからない、普通の住宅街の坂道にしか見えません。

さて・・・
ここまで上って来てようやく今回のお題にたどり着きました、下画像をご覧ください。

うぐいす坂から3.jpg
昭和31年頃(1956年)のうぐいす坂を坂上から撮った1枚です。
今の坂道とは違い、まだある程度の樹木が残り平屋の木造家屋が並んだ、まさに街道沿いの田舎といった風景ですね。 比較すると、現在の樹木が残っているあたりに立派な門構えの屋敷があり、もしかするとここが浜口英幹が幕末から明治にかけて住んでいたという、坂道前の花屋敷だったのかもしれません。

追記:コメント投稿でご指摘を頂きました。 推測どおりこの門のあった場所が花屋敷だったそうです。

それにしても、いくら高台で眺めの良い場所とはいえ、よくこんな知る人ぞ知るような裏道の写真を外国人(米軍水兵)が撮影して残しておいてくれたものだと、今回は現地へ行って特に思い知らされました。 もしかすると、撮影当時は今よりずっと米軍属の数が多かったので、このあたりまで米軍住宅があったり、上町方面へ抜ける近道として頻繁に利用されていたのかもしれないですね。 ちなみに現在、ヨゼフ病院横からうぐいす坂〜中里商店街へ至る浦賀道は、大勝利山の山道と同じく米軍属の立ち入りが制限されているようです。


おまけ:
今回の訪問の副産物として、キャプション不明だった1枚の写真の撮影場所が3年越しで特定出来ました。

うぐいす坂から1.jpg
Before〜

うぐいす坂から2.jpg
〜After
樹木が広がりわかりにくくなっていますが、建物の位置等からここで間違いありません。 この画像も、うぐいす坂から撮影された別の外国人による1枚だったことが判明したわけですが、稀にこういう偶然の発見があったりするから、ストリートビューだけでなく直接自分の目で現地を確かめに行くことは欠かせないんですよね。

posted by acj@管理人 at 17:14| Comment(2) | TrackBack(0) | 横須賀の歴史

2012年04月23日

横須賀の今と昔(9) 軍港の黄色いカレーライス

第8回の一福食堂に続いて、今回も横須賀の大衆食堂を紹介します。

4月2週に現地へ行った際に、店の外観等を撮影したデジカメの画像ファイルを誤って消してしまうという大ミスを犯してしまったため、現在の写真は2009〜10年に撮影したものを使用しています。

旭野食堂02.jpg
今回のお題は、JR横須賀駅で下車して改札を抜けると駅舎を出てすぐ目の前にある旭野食堂という大衆食堂で、創業は戦前の昭和11年(1936年)と、一福食堂の昭和24年(1949年)よりも更に歴史が古く、JR横須賀駅の現駅舎の完成が昭和15年(1940年)ですから、それ以前からここで営業していたことになります。

旭野食堂01.jpg
そしてこちらが昭和28年(1953年)2月頃の旭野食堂前。 戦後、横須賀のメインストリートが京急横須賀中央〜汐入駅方面へとシフトしたおかげでしょうか、JR横須賀駅前はこれといった再開発が進まなかったおかげで、旭野食堂の右側2件が53年の2年前に1階建ての平屋から現在の形になって以降、右4つの建物はほぼ当時のまま残っているのがわかります。  それから左端の、臨海公園からヴェルニー公園となって、営門とともに唯一当時のまま残されたと思しき樹木が、60年の歳月でずいぶんと大きくなっているのもわかります。
ただし、平成に入って急加速している横須賀各地の土地の切り売りは、長年再開発とは無縁だった駅前にもいよいよ押し寄せてきまして〜。 幕末から軍港を眺め続けて、たびたび古写真で軍港の鳥瞰写真を撮影する場所にもなっていた背後の山が、数年前から宅地造成で切り崩され始め、先日訪問した際は跡形もなくなっていました。 以前の日記で120年前の軍港写真を紹介した撮影場所は、残念ながらこれで永遠に失われてしまったわけですね。

旭野食堂03.jpg
2010年11月撮影。 この時点ではまだ右上の山頂から軍港をパノラマで撮影できましたが、現在はクレーンが立ち並んでしまい、障害物抜きの純粋なパノラマ撮影は不可能となってしまいました。 いずれここに高層ビルでも建てば、またそこからパノラマ写真が撮れるかもしれませんが・・・

・・・話を旭野食堂に戻します。

旭野食堂04.jpg
2009年7月の旭野食堂前です。 ここへは過去何度か通りがかっていたのですが、来た日に限って定休日や準備中で入れなかった記憶が・・・ そしてずるずる3年近く先延ばしにして、ようやく今月入店したわけですが。 食堂の営業時間は11~14時・17〜19時30分・水曜定休と割とシビアなので、入店する際は事前に到着予定の時間を確認してから行きましょう。
なお、うちは歴史系の情報しか取り上げていませんが、食堂としての情報はこちらのサイトで店内やメニューの感想などが投稿されています。 それと少し前には神奈川新聞にも紹介記事が掲載されたそうで、店内にも新聞の切抜きが飾ってありました。

旭野食堂01a.jpg
上の1953年画像を切り抜いて旭野食堂前を拡大してみました。
不鮮明ですが右側のガラス陳列棚は当時そのまま? すでにカレーライスの文字も看板に書かれていますね。 このカレーは、戦後アメリカさん相手にレストランとして店をリニューアルした際に加えられたメニューということで、今も食べることの出来る当時の味を伝えた最後の一品なのだそうです。

ちなみに創業とされる昭和11年以前も、店自体は和久屋という名称で営業していたそうですが、当時を知る先代店主がすでに亡くなっているため、店の方にも詳細はわからないようです。 
そのためこちらで独自に調べたところ、大正7年(1918年)発行の地図に和久屋という店は見当たらないので、先代店主が食堂として創業したのなら、店主の年齢的に考えてもやはり昭和11年に近い1930年代前半以降と推測します。 もっともそれ以前の先々代の時代になると、店の身内の方でもわからないことを私が推測するのは不可能ですが、大正時代この一角は運送業の倉庫や営業所が並んでいた中に1件だけ、大勝軒本店という菓子商が存在していたので、もしかするとそこに関連する何かがあるのかもしれません。

旭野食堂07.jpg
大正時代に発行されたガイド・パンフレットに大勝軒本店の写真を見つけました。 これによると軍港煎餅なる名物を売りにしていたみたいですね。 店名の由来もまず間違いなく日露戦争の大勝利にあやかったものでしょうから、創業もそのあたりの時代か? この菓子商と現在の旭野食堂の繋がりは不明ですが、いずれ機会があればこれらの画像と情報を持参して、もう一度店の方に尋ねてみたいと思います。


最後に、旭野食堂のカレーライスですが〜

旭野食堂05.jpg
食堂内は携帯のカメラで撮影したので、今年4月撮影のものです。

旭野食堂06.jpg
注文したカツカレーは、最近横須賀のどこでも見る海軍カレーとは全く違う黄色の、カレー粉と小麦粉・ラード油を混ぜてルーから作った、まさに懐かしい昭和の味がするカレーライスでした。 店の方は海軍カレーではないと言ってましたし、たしかに軍のカレーとは由来も材料・レシピも違っていますが、戦前に創業した老舗食堂が軍港の目の前で作り続けた、それこそ大勢のアメリカ軍人も食べたであろうこのカレーライスも、また別の意味で横須賀の海軍カレーだと思いました。

横須賀で海軍カレーを食するのなら、是非こちらの旭野食堂オリジナルの軍港カレーも食べてみることをお勧めします。

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2012年04月18日

横須賀の今と昔(8) hideも通った大衆食堂

タイトルは、お題で検索したら最初に目に付いた語句ということで〜

一福1.jpg
今日のお題は、いつものように日本駐留の米軍人が基地の外でなんとなく撮った1枚で、長屋のような雑居スペースの右端に定食屋・中央にスーベニア(お土産屋)ショップ・左端は靴屋でしょうか。 基地の近くということで、外国人向けに書かれたアルファベットの看板が目立つ以外は、どこにでもある個人商店です。

とまぁ、これだけなら前回同様に、場所も時間もよくわからない単なる情景写真で終わってしまうところですが、今回は画像の細部をよく見ると・・・

一福1a.jpg
看板に書かれた本町3丁目12番地という詳細な住所に加えて「全駐労横須賀支部指定食堂」と、場所が横須賀市の本町と簡単に特定できるのが大きな違いですね。 撮影が米軍進駐後の戦後(1950年代あたり)なら、町名や番地は現在とそれほど変わっていないはず、試しにまずはそのままの住所でググってみると・・・


ビンゴ! 一発で出てきました。
ドブ板通りの外れで京急汐入駅から徒歩3分くらい、横須賀芸術劇場裏の路地が該当する番地らしく、ストリートビューで調べたら建物と定食屋が残っているらしいことまで判明しました。 それにしても、最初から住所がわかっていれば場所特定が簡単とはいえ、ここまで突き止めるのにかかった時間は僅か数分、しかも家から1歩も出ることなくネットで住所を検索しただけなのだから、まさにGoogleマップ恐るべしですね。

というわけで、これ以上のことを知るなら現地へ直接行って自分の目で確かめるしかないということで、4月某日京急汐入駅まで足を運んでみました。

一福2.jpg
場所はあらかじめ調べたとおり、京急汐入駅を降りてドブ板通りへ向かう途中の路地で、画像左方向は旧EMクラブ跡地、現在は横須賀芸術劇場となってしまい昭和の面影は微塵もありませんが、道路を挟んだ右側には古い昭和の建物が残ります。
このあたりはメインストリート(ドブ板通り〜ショッパーズ〜汐入駅)から外れているせいか、シャッターが閉まったままの建物が多く、午後になると背後の山が影になり余計に薄暗く裏寂れた印象を受けます。
目的の建物はパトカーの止まっている背後の2階建て家屋で、左端の一福食堂というのが、画像の定食屋だろうと推測していたのですが、なんとこの一福食堂は食べログで見たらXJapanのhideが行き着けにしていたという、その筋には割りと有名な店だったらしいのです。 Webで検索しても普通の定食屋にしてはブログ等でレビューやメニュー画像が沢山出てきますし、どうやらhideを抜きにしても、昔から知る人ぞ知るみたいな感じの穴場的な定食屋だったようです。

その一福食堂の入口は、場所が寂れた裏通り&外から店内がまるで見えないため、一見さん(特に女性)はなかなか入りにくそうな雰囲気ですが、思い切って入ってみると平日15時過ぎでも普通に客が5〜6人、その中には店主と談笑しているhideファンらしき2人連れなどもカウンターにいて、店の外観から想像するような居心地の悪さみたいなものは微塵も感じませんでした。 この日は私が座った席の隣にも客がいたので、残念ながら店内の写真撮影は出来ませんでしたが、店のご主人夫婦から話を聞いて当時の情報は得ることが出来ました。

一福3.jpg
店舗の建物は一部改装していますが画像の時代とほぼ同じで、撮影年は昭和36〜37年頃らしいです。 この当時(昭和36年頃)の一福食堂は、建物右端が入口で、中央の2スペースをスーベニアショップ・左端を靴屋に貸して、食堂はその奥にあったらしく(現在の厨房とその前の4席、右奥の座敷席がかつての食堂スペース)
店に入ると意外と奥行きがあったのにも理由があったわけですね。 現在カウンターのある通路みたいなスペースが、かつては貸店舗となっていたわけです。
どおりで、画像で照らし合わせても定食屋入口の位置が違っていたわけです、これは現地で聞かないとわからない生の情報でした。

最後に店の味ですが、注文した五目そばと餃子がなかなか美味しかったのが思わぬ副産物でした。 こんな穴場があったとは・・・
近くのファミレスに入るより1000円で家庭料理の味が楽しめるここへ、今度知り合いが基地開放日に見学へ来たら招待することにしよう。

あ、でもここって大衆食堂だけあって日曜は定休なのでした、 残念!

一福4.jpg

昭和35年度発行の商店地図によると〜
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2012年04月08日

横須賀の今と昔(7) 50年前の犬と今の猫

個人撮影の写真にありがちなものとして、他人が見ると「なんでこんな場所・物を?」というような写真にめぐり会うことがたまにあります。
今回はそんな「どうでもよさげな写真」の中から1枚を選び、ちょっと調べてみることにしました。

大勝利山へ1.jpg

山道を散策中に遭遇したこちらを見る犬に興味を持ったのでしょうか、米水兵が1956〜57年にかけて撮影した1枚ですが、通常こういった「どうでもよさげな写真」は後からキャプションが付くことも少なく写り込んだ情報も乏しいため、これだけで場所の特定はまず不可能です。
だが幸いにも、この写真は数十枚のフィルムロールの中間あたりで撮影されているのが判明しているため、その前後に撮影された写真で水兵の歩いたルートを調べて、ある程度の場所を絞ることが出来ました。

それでは現地へ行ってみましょう。

大勝利山へ2.jpg

詳しい場所はGoogle地図を見てもらうとして、良長院の前から大勝利山を経て浦賀道へとつながる山道がスタート地点となります。 まずは良長院横の階段を上へと登って行きますが、これが割と急な階段で、崖に面しているせいもあり見晴らしも良く意外に登りごたえがあります。

大勝利山へ3.jpg

途中で振り返ってみると結構怖いかも? 今でこそ崖はコンクリート壁になっていますが、写真が撮影された196756-57年頃は剥き出しの岩肌でもっと迫力があったのかもしれません。
そして登ること数分・・・ だいたいビル7〜8階分は登ったでしょうか、舗装された階段を登り切った最初の曲がり角にその場所はありました。

大勝利山へ4.jpg

造成され家も建て替えられているので雰囲気は変わっていますが、空き地の位置や道の曲がり具合、この先で石段がなくなり完全な山道になってしまう点から、ほぼここで間違いないでしょう。 こうして今見ても、それこそ犬でもいなければまず撮影なんかしない、なんの変哲もない場所ですね。 今回は幸運にも場所が特定出来ましたが、それこそ普段からここを歩いてる地元民でもなければ、まず見つけることは不可能だったと思います。

大勝利山へ5.jpg

私がここを訪れた日(2月)に犬はいませんでしたが、撮影場所すぐ横のフェンス前で冬の西日にあたって日向ぼっこをしている猫がいました。 おそらく写真の犬も、この猫と同じように冬の西日にあたって日向ぼっこをしていたのでしょう。

大勝利山へ6.jpg

余談ですが、50年前に米水兵が歩いたこの階段から先の山道は、現在米軍人や軍属は立ち入らないよう制限されているらしく、スタート地点の階段入口にその旨の標識が掲げられています。 このあたりは基地前の商店通りから一歩山側に入ると昔ながらの住宅街が続いてるので、通学路や生活道路を迷彩服姿の兵士が歩きまわって無用のトラブルを防ぐ意味もあるらしく、同様の標識は緑ヶ丘女子高校前や聖ヨゼフ横の浦賀道入口などにも存在しています。
posted by acj@管理人 at 16:27| Comment(4) | TrackBack(0) | 横須賀の歴史

2012年03月08日

横須賀の今と昔(6) 冬の情景

3月に入ったというのに、連日曇り続きの寒い日が続きますね。
2月にはここ横須賀でも雪が積もり、久しぶりに白一色の冬景色になったりしましたが、思い出してみるとここ数十年の横須賀は全体的に温暖化傾向にあるような感じで、雪の降り積もる日も昔に比べてほとんどなくなったと思います。
そんなわけで今日は冬と雪にちなんで、昔の横須賀の冬景色を少し探してみました。

Yokosuka_winter_1967a.jpg
写真は今からちょうど45年前(1967年)の大滝町通りです。 奥には最近姿を消した、さいか屋の一代前のビルが移っているのを確認出来ます。 子供の頃を思い出してみると、70〜80年代あたりは横須賀でも普通にこのくらい雪の積もる日があり、早朝庭に出てみると霜柱が立っていたような・・・ そう考えると最近は、局地的に寒い日はあっても、やはり全体的には気候の温暖化が進んでいるのかもしれません。 

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今年2月に撮影したほぼ同じ場所。 すでにさいか屋のビルは取り壊され、姿を消してしまっていますが、ここの跡地には何が建つのでしょうか・・・。


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上と同じ場所から反対(米軍基地三笠ゲート)方向を撮った1枚。
 

写真がなかったのでGoogleストリートビューで代用。 ちょうどこの位置の道路左側の歩道から撮影したのでしょう。 年配の方なら、1967年当時はストリートビュー右奥のマンションあたりまで港があり、現在の小川町駐車場付近に三笠橋が架かっていたのを思い出すかもしれません(私は生まれてないのでわかりませんが)。 その小川港は2年後の1969年、横須賀新港埋立事業に伴い埋め立てられ、三笠橋も廃止となりました。

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かつてレストランだったガソリンスタンド横の建物も健在です。  このあたりは横の路地を含めて、数少ない昭和の雰囲気が残る区画の1つみたいな感じですね。

ここ数年の横須賀は、築50年を超えるような建物の解体やさいか屋(近いうちに西友も・・・)など思い出の場所の消失、明治以前からの山や丘が造成工事で失われたりと、新旧時代の入れ換わりが加速している印象を受けます。 当ブログでは昭和の写真を昔の風景として紹介していますが、あと10年もすると今デジカメで撮影しているこの写真が、昔の失われた風景の比較写真として活用することになるかもしれませんね。
posted by acj@管理人 at 11:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 横須賀の歴史