2012年02月20日

横須賀の今と昔(5) 諏訪大神社

しばらく更新しないうちにコミケも終わり早2ヶ月弱、いまさら結果報告を書いても仕方が無いので、何事もなかったようにコーナーを再開することにします。

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第5回はドブ板通りからちょっと山側へ登った場所にある、緑が丘の諏訪大神社を紹介します。
ここは古くから浦賀へと続く街道(神社前の聖ヨゼフ病院脇を通る細い道)が通っていた場所で、地理的にドブ板通りから近いこともあり、基地の軍人もよく訪れていたようです。 写真は米海軍の水兵が1956年冬から1957年春頃にかけて撮影したと思われる、カラーフィルムのロットから出てきたものです。

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神社への入り口となる坂道を手前から撮影したもの。 冬の午後遅くに撮影したらしく、全体的に長い影で覆われてしまっているのが残念ですが、聖ヨゼフ病院の前身である横須賀海仁会病院時代の病棟が写っています。 ちなみに病院の外壁は濃緑色で、この当時(50年代?)のEMクラブや警察署など、公共施設と思われる建物には、理由はわかりませんが外壁を濃緑色で塗装したものが多かったりします。

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そしてこれが現在(2012年)の諏訪大神社前。 近年、手前にホテルニューヨコスカとマンションが建設され、こちら側から山や病院を見ることは出来なくなってしまいました。 ちなみにこの場所は意外と昔の写真が多く残っており、ホテルニューヨコスカの場所は、現在までに数回の建て替えが行われていたことがわかります。

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この画像は1960年代後半〜70年頃と思われますが、CLUB KOBEとある場所は50年代はCLUB CROSSROADやCLUB DENENなど、何度か店の名前と建物が変わっているため、そこからある程度の撮影年代を絞り込むことも可能です。 (基地ゲート正門から写真を撮ると、正面通りの奥にあるこの場所がよく写り込むのです。)

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神社境内へと続く石段参道の隣にある小さな階段。 苔むした石壁とカーブした形状の階段、電信柱の位置が当時のまま今も残されています。

それでは、第5回はこのへんで〜
次回は浦賀道を通って上町方面へ向かう予定です。
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2011年12月13日

横須賀の今と昔(4) 長源寺〜遅刻坂

第4回は深夜アニメ「たまゆら」で聖地にもなっている汐入駅周辺から、長源寺を中心とした道路から3枚の写真を紹介します。 下のGoogleマップからストリートビュー等で確認しながら見れば、より撮影場所の今と昔の違いが把握出来ると思います。



まず1枚目は撮影ポイント1(地図マーク上)より、長源寺の方向に向けて撮影したカラー写真です。

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1953年頃(上)と2010年(下)

写真左側には、戦後〜50年代にかけて建てられたと思われる店舗兼住宅が現存していますが、どうやら店の方はかなり前にシャッターを下ろして廃業済のようです。 最近は、こういった古い個人商店が不況や店主の高齢化で次々と姿を消しつつあり、いずれこれら古い建物も取り壊され普通の住宅街となっていくのでしょう。 画像の奥には長源寺の墓地が見えていますが、ここも近年宅地造成のため手前の丘が削られたせいで、木に隠れていた墓石がよく見えるようになったようです。
それから画像の手前部分、今見ると停留所も何もない場所で一部分だけ唐突に車線の広がっている謎な道路になっているのですが、どうやら戦前からこの広がりはあったようで、かつてバスの停留所だったのか乗合馬車や人力車の待避場所だったのか、その歴史はよくわからなかったりします。
ちなみに、この写真の反対側すぐに「たまゆら」で登場した交番裏の公園があるのは、地元民ならすぐわかる有名な巡礼スポットですね。


撮影ポイント2(地図マーク下)から、2枚とも1969年頃に米海軍の兵士が撮影したカラー写真と、私が2010年に現地で撮影した比較写真です。

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マークから右上(汐入)方向を撮ったものの今と昔。
 
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マークから左下(不入斗)方向を撮ったもの。

この2枚は元の写真にキャプションがなく、目印となるような建造物や史跡などもない普通の住宅街のため、位置特定に非常に時間がかかったのですが、米軍人が通るようなドブ板通り周辺から通りをしらみ潰しに探してようやく見つけました。
ここはかつて、現在の不入斗中学校にあった陸軍重砲兵連隊の駐屯地へ通じる坂道で、横須賀の繁華街へ遊びに行った連隊の兵士達が、門限時間に遅刻しないよう近道としてこの坂を利用したという由来から、遅刻坂と呼ばれていました。 現在は千石(ちこく)坂と名を変えていますが、1969年の撮影当時を含めた戦後しばらくは、米海軍の兵士達が基地から不入斗にあった歓楽街へ遊びに行く際に、戦前とは逆の近道としてここを利用していたそうです。
ちなみに私が撮影した2010年4月に当時からここに住んでいた方に話を聞くと、1枚目の下り坂写真の右側で空き地になっている場所に、私が撮影に来る僅か3ヶ月前まで69年の時と同じ建物が残っていたらしいのですが、前年に家主が亡くなって取り壊されてしまったそうです。

それでは、今回はこのへんで〜
posted by acj@管理人 at 12:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 横須賀の歴史

2011年05月28日

横須賀の今と昔(3) 記念艦「三笠」

記事にするのが1日遅れてしまいましたが、昨日5月27日は横須賀市三笠公園で"記念艦「三笠」復元50周年記念式典"が催された日でした。
日露戦争で連合艦隊旗艦となり活躍した戦艦三笠は、その偉業をたたえ記念艦として横須賀の地に保存されたのですが、太平洋戦争に敗れた後は荒れるがまま放置され、それこそスクラップ解体の一歩手前のような状態まで艦体は荒廃しました。 現在の三笠は、荒れ果てたかつての記念艦の惨状を見かねた有志達によって昭和30年代に復元を施された姿であり、その復元記念式典が催されたのが50年前の1961(昭和36)年5月27日のことでした。

記事に載せる写真を撮るためその日の記念艦三笠を見に行きたかったのですが、残念ながら平日ということもあり三笠公園まで行く時間をとることが出来なかったため、画像は2009年に撮影した写真です。

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三笠2.jpg

復元され、各種艤装も元通りとなった記念艦三笠です。
今のこの姿からは想像も出来ませんが、太平洋戦争後すぐに三笠=戦前軍国主義の象徴を否定するかの如く、大砲類や煙突・艦橋など上部構造物が撤去され、その上には水族館やダンスホールが建つレジャー施設となっていたのです。 しかしそんなレジャー施設も長くは続かず、昭和30年代に入ると三笠は誰にも顧みられることなく荒れるがまま放置されていました。

下の写真は保存会によって復元される以前の、荒廃しきった頃に撮影された数少ない三笠の姿を写した1枚です。

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昭和28(1953)年頃に撮影された記念艦三笠。
時期的には日本が戦後復興と朝鮮戦争による特需に湧いてた頃なのですが、実は復興による鉄鋼需要のため、心無い輩により残っていた三笠の備品類が鉄スクラップとして数多く持ち去られてしまったそうです。 上写真の現在と比較すればわかりますが、上部構造物や艦側面の速射砲はなくなり、代わりにダンスホールのカマボコ状の屋根が見えています。
ちなみにこの写真を撮影したのは当時の米海軍士官なのですが、あろうことかキャプションには「Russian Battle Ship」と書かれており、軍の将校でもその程度の関心しかなかったことが伺えます。

昨日の式典では、三笠保存会の会長が「三笠復元の目的は、日本人として自尊自重の精神、誇りと自信を取り戻すことにあった」と訴えたそうですが、この荒れ果てた三笠が敗戦で誇りと自信を失った当時の日本国民の象徴だとするなら、今後再び三笠をこのような姿に戻すことは絶対にあってはならないと、あらためて思うのでした。
posted by acj@管理人 at 21:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 横須賀の歴史

2011年05月11日

カントリー・バンドと横須賀

ブログ用で作り溜めていた画像とTXTデータを誤ってフォルダごと消してしまったせいで、だいぶ更新の間があいてしまいました。 すでに3月のネタになりますが、GW中に画像データを作り直したのでようやく更新です。


まず、今年初めにこんなカラーフィルムを発掘しました。

カントリーショー3.jpg

米国の軍属かその家族が1950年代に来日した際、関東各地の観光地や米軍基地周辺を巡って撮影したフィルムロットに含まれていた1枚ですが、フィルムはまとめて無造作に箱に入れられた状態だったため、残念ながら入手時すでにキャプションは失われていました。
そこですべてのフィルムをマウントから外して、1コマずつ切る前のロール番号の撮影順序で、おおよその撮影場所を推測してみることにしたのですが、並べてみると鎌倉の大仏や江ノ島、横須賀米海軍基地周辺を撮影した前後で、このバンドの写真が3枚撮られてるところまで突き止めることが出来ました。 もしこれが横須賀のどこかのクラブで撮影されたものだとすれば、ホールで外国人相手にバンド演奏するようなクラブということで、汐入の横須賀EMクラブや大津の国際観光ホテルあたりが真っ先に思い浮かびます。 しかし、残念ながらどちらの建物も私が成人した頃には現存しておらず、古いステージの画像だけでは場所を突き止めることは出来ません。 とりあえず図書館でドブ板通り関連の写真集を調べましたが、載っていた幾つかのEMクラブの写真からも手掛かりは掴めませんでした。

それでは次の手段として、演奏しているバンドから何か手掛かりが出てこないかと、例によってWeb検索を駆使してそれらしい情報を探してみることにしました。まず見てすぐにわかるのは、演奏しているのがカントリーバンドということ。 ウェスタン風の背景POPや、上にかろうじで見える"Country"という文字もそれを裏付けています。 とりあえず "カントリーバンド 1950年代"等で画像検索して、似た様なメンバー構成のバンドがいないか調べてみたところ〜

カントリーショー3.jpg

ほどなくして右端の背の高い眼鏡の人物が、50年代の瀬谷福太郎というギタリストによく似てることがわかりました。 ちなみにGoogleで画像検索した結果はこちら
ここまで分かれば、あとは直接ご本人に問い合わせて裏をとれば一気に謎は解明するのですが、カントリーの分野には全く詳しくない上に当たり前ですがそんなツテも私にはないので、思い切って検索して一番に情報を得られたサイトの管理人に添付画像を添えてメールを出してみました。


その結果は以下のリンクで御覧ください〜

J.T.Kanehira & TEXAS COMPANY
"日本のカントリー・懐かしの写真集"というコーナーに、所有する3枚のうちの1枚の画像が掲載されています。 そしてバンド名・メンバーの名前・場所、すべて画像を見た瀬谷氏ご本人からの情報で判明しました。

補足情報
posted by acj@管理人 at 11:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 横須賀の歴史

2010年11月30日

横須賀の今と昔(2)

今回も横須賀中央〜汐入近辺を中心に、すでに50年の月日が流れている定点撮影ですが、探してみると意外に当時の建物が、特に大通りに面した看板建築などが一致することに驚きますね。

1953年 横須賀米海軍基地ゲート前
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2009年
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ゲート側から見て左側の、今は不動産屋が入っている建物。 この建物の歴史は古く1950年からほぼ当時の姿のままそこにあり、大通りのゲート前に面し、なおかつ角にドブ板通りの看板があるように、ある意味昔と今をつなぐドブ板通りの象徴みたいな感じもします。 道路を挟んだ右隣の似た様な建物は、最近歩道橋建設のため取り壊されてしまったため、ここがかつてのゲート前の面影を残す、最後の場所となります。
ちなみに左隣はかつて横濱銀行の支店があった場所で、現在(2010/12)は2009年に撮影されたビルも壊され更地となっています。 歴史の移り変わりを感じさせます…


1964年2月? 朝日屋大衆旅館前
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2010年11月
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右手前から奥へ宮田自転車、佐藤薬局、朝日屋大衆旅館、この旅館は知る人ぞ知る?昭和初期から営業していた老舗の旅館で、その建物は道路を挟んだ1区画の差で戦時中の建物疎開による解体を免れていました。

1946年頃の朝日屋大衆旅館前
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ドブ板通り方向からの撮影で、右手の瓦造り3階建ての木造家屋が朝日屋。 位置的には基地ゲート正面の道を奥に入って1つ目の十字路の左角にありました。 この場所は基地近くということで、米兵によって沢山の写真が撮られたため、様々な角度からの旅館の古い画像を今も見ることが出来ます。
現在、旅館のあった場所には何代目かになるビル(現在はマンション)が建築されていて、当時の面影は全く残っていません。

1969年頃?京浜急行 堀ノ内駅前
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2010年
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これは位置特定がかなり難しい1枚でした。 あまり米兵が撮影するような場所ではないのですが、たまたま通りがかった子供の手を引いた親子連れが気に入って思わずシャッターを…というところでしょうか。 一見するとただの通りなのですが、画像中央付近を拡大すると〜

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位置特定はここが決め手となりました。 電車の線路やガードの位置は、何十年経ってもそう簡単に変えることは出来ないですからね。


というわけで、第2回はこのへんで〜

posted by acj@管理人 at 11:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 横須賀の歴史