2010年10月16日

横須賀の今と昔(1)

以前、当ブログで書いていた軍港めぐりコンテンツの反応がイマイチ…というか皆無だったので、仕切りなおしで新しいネタを少しばかり試してみたいと思います。 題して〜

横須賀の今と昔を定点撮影してみよう!

ようするに「古い横須賀市内の写真から、現在の場所を探してみよう」という趣旨の日記というか企画です。
横須賀は軍港の町ということで、古くから様々な写真が残されており、特に終戦後に大勢の米軍関係者が進駐したおかげで、公私にわたり彼らが記録した膨大な写真が現存しています。 特に軍人がプライベートで街へ繰り出して撮影した写真などには、カラーテレビはおろか映画館ですら総天然色が珍しかった1940年代後半から、当時の日本の民間人には到底持つことなど出来なかったカメラとカラーフィルムを使って撮影したものが残されており、それらは横須賀の戦後史を調べる上でも非常に貴重な資料となる可能性を秘めています。 そしてこの時代のカラーフィルムは、まだ印画紙に焼いた写真にして楽しむものではなく、ポジフィルムにして映写機で見て楽しむものだったため、フィルムがスライドケースにマウントされた良好な保存状態で残されているものが多く、現在のPC環境で精密スキャン&画像補正をかけることにより、現在の写真とほとんど遜色のない画像を作ることも可能だったりします。

今回は、それら膨大な戦後の米軍関係者の撮ったプライベート写真の中から、第1回目ということで割とわかりやすそうな場所を数点ピックアップしてみたいと思います。 地元在住の方、特に40代以上の方は幼少の頃に実際の町を見ていたわけですから、私以上に画像から得られる情報を持っているかもしれません。 その時は、もしよろしかったらコメント欄に何か書いて頂ければと思います。


* 現在の場所は私が撮ったデジカメ画像か、Googleマップのストリートビューにリンクしています。


本町 国道16号プラザ横須賀前 1970年頃
y01.jpg

現在

京急久里浜駅からYRP野比方向を見る 1970年頃
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現在
y02a.jpg


米海軍横須賀基地 正面ゲートから諏訪神社方向を見る 1952〜53年
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現在


それでは、記念すべき第1回目はこのへんで〜。  
次回はもう少し50年代の写真を多めに、少しずつ更新していきたいと思います。

posted by acj@管理人 at 11:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 横須賀の歴史

2009年07月18日

JR横須賀駅の60年前

なんという偶然か、今日この日記を書こうと下調べのためにネット検索をしていたら、僅か1ヶ月ほどの差で同じモノを題材にしたブログを発見! 写真も年代も場所も共通しており、早速そこへトラックバック(TB)を貼ろうと思ったのですが、相手側がTBを受け付けてないのでリンクとコメント欄でお知らせしたいと思います。

b206a.jpg
1953年国鉄(現JR東日本)横須賀線横須賀駅ホームより海側を写した画像です。年代は1953年(昭和28年)で、当時日本に駐屯していた米海軍の将校が撮影したものです。
写っている2台の小型機関車は"国鉄B20形蒸気機関車"で、戦時中に規格・設計され44〜46年までに15台製造された、どちらかというと構内で貨車の牽引や入れ換えなどを行う作業用の雑役車輌みたいなものです。歴史やスペック等についてはこちらのWIKIに詳しく載っています。
画像の2台は左から20-8号20-6号で、横須賀米海軍基地の貨車入換作業用として配置されたもの。 ここから引込み線を通り長浦の倉庫街などを往復していたのでしょう。 ちなみにB20は現在、20-1号が北海道旧万字線朝日駅で静態保存、20-10号が梅小路蒸気機関車館で動態保存されており、画像の6・8号は残念ながら廃車となっています。

b206b.jpg
2009年7月撮影
年月の経過で地形や建物が変り、なかなか"ここだ"という場所を特定できなかったのですが、後方の山と吾妻島の位置、駅舎の柱の位置からおそらくここが撮影場所だと思います。
上写真にはまだ残っていますが、戦時中から戦後しばらくの間(つい最近?)まで、構内と港の境界線には高さ2mほどのコンクリート塀が建てられており、このあたりからヴェルニー公園の端まで、港湾作業や軍艦等の機密物を見られないよう目隠しがされていました。戦前・戦中など、駅構内での出会いや別れの際に記念写真など撮ろうものなら、途端に憲兵が駆けつけてきてカメラ没収…くらいならまだマシで、スパイ容疑で憲兵詰め所に引っ張られかねなかったでしょう。 そういう理由もあって、この付近の地図や写真は昭和初期から戦中にかけての資料が極端に乏しく、皮肉にも敗戦後進駐した米軍によって写真や映像が大量に記録され、軍港都市の秘密のベールが剥がされることになるわけです。

b206e.jpg
かつてヴェルニー公園前にもあったコンクリート塀は戦後の自由化により取り壊され、現在至近から確認出来るのは横須賀駅脇の駐輪・駐車場の境界として使われているここのみとなりました。確かにこの塀によって、その先にある自衛艦が停泊する吉倉桟橋方面が見えなくなっており、当時の日本人の平均身長を考慮すると、今よりもっと高くそびえ立ち威圧的に見えたことでしょう。


さて、本来なら当記事はここで終了するはずだったのですが、まずはこちらのリンク先をご覧ください。
DRFC-OB掲示板 2009年6月4日
なんと、私がこの記事を書く1ヶ月と少し前に、まったく同じ機関車を撮影したブログがあったのです。しかも画像と同じ1953年撮影・横須賀駅のB20-6号車!
b206d.jpg
リンク先の画像と比較すると車体の傷の位置まで完全一致します。まぎれもなく同じ機関車の同じ年の姿が、60年を経て僅か1ヶ月の誤差で、ほぼ同時にネットに出てきて公開されたことになります。 偶然とはいえ、これはほとんど奇蹟のようなものです。
b206c.jpg
文字の判読が難しかったのですが、リンク先のキャプションにより立山重工業製ということが判明しました。

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10/11/20 追記
さらに新たなB20のカラー画像が発見されました。

B206.jpg

これもB20-6号車で、やはり現JR横須賀駅にて撮影されたもの。 1952〜53年あたりと推測され撮影年代も非常に近く、こちらの方はDRFC-OB掲示板の写真にあった後方の建物も写りこんでいます。

posted by acj@管理人 at 09:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 横須賀の歴史

2009年07月06日

衣笠山公園の入口

衣笠山公園53.jpg
この写真は昭和28年(1953年)の横須賀、桜祭りの風景とだけわかっていたのですが、つい先日まで場所の特定が出来てませんでした。横須賀で桜祭りがありそうな場所といえば、塚山公園衣笠山公園のどちらかだろうと予想していたのですが、塚山公園は近年の道路開通や大規模な宅地造成で、地図で下調べの段階ではそれらしき地形が見当たらず、既に場所そのものが無くなってるのではと危惧していました。
この写真を撮影したのが米海軍将校なので、地理的には汐入に近い塚山公園が有力だったのですが、どうも有力な候補地が見つからないので、先週もう1つの候補地である衣笠山公園へ現地調査に行ってみました。


事前の下調べ段階で最も有力なのはここ。住宅が立ち並んでしまい面影はないのですが、中央のT字路を挟んだ下に民家の屋根、上に山があり、地形的には写真と一致します。

衣笠山公園09b.jpg
公園入口に到着、写真の構図からすると表通りから見下ろすように入口のT字路を撮影しているようなので、そのポイントがあるかどうか表通りを下っていきます。
そして…

衣笠山公園09.jpg

ビンゴ!
路地の正面に民家が立ち並んでしまい同じ位置からの撮影は不可能ですが、入口の石柱が存在して左側の民家は当時そのまま、残念ながら右側の崖は造成で山が崩され跡形もありませんが、撮影はこの場所…よりもう少し左側で間違いないでしょう。
衣笠山公園09a.jpg
写真の桜見物の観光客と同じ視点で撮影。 残念ながら右側の崖は近年宅地造成のために崩されてしまい、当時の雰囲気は永久に失われてしまいました。

衣笠山公園53a.jpg
もはや民家が立ち並んでいて定点撮影は不可能ですが、別角度から当時の写真をもう1枚。 昔はこの路地にも立派な桜が花咲いていたみたいですが、現在は切り倒されなくなっています。
ちなみに止まっているバスは看板に「野球は巨人キャラメルは紅梅」と書かれており、最初何かよくわからなかったのですが、ぐぐってみると… 当時の有名なキャラメルのキャッチコピーだったのですね。 世代的にまったくピンとこないものも、今ではぐぐればネットから一発でわかる。 いい時代になったものです。

posted by acj@管理人 at 00:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 横須賀の歴史

2009年06月20日

横須賀軍港めぐり6(横須賀本港)

その他の記事へのリンクは、検索ボックスから"横須賀軍港めぐり"で参照してください。

5回目から間が空いてしまいましたが、このあたりからいよいよ軍港めぐりのメインである艦船が登場してきます。

横須賀本港1.jpg
例によって吾妻島山頂の信号塔からのパノラマ写真で、現在のJR横須賀駅・京急汐入駅方面を撮影したものです。 建物の窓ガラスごしに写したようで、ガラスが反射して少々見づらくなっていますが、1953年当時の港横須賀の景色はしっかりとカラーで見ることができます。右に臨海公園(ヴェルニー公園)中央奥は今のダイエー・ショッパーズが建っている場所、その少し左側の黒っぽい部分はガントリークレーンです。左の米海軍基地には朝鮮戦争時を思わせる大きな病院船が停泊してるのを確認できます(この病院船は後日再び登場する予定)

横須賀本港2.jpg
ヴェルニー公園については前回掲載したので、今回はその対岸である米海軍基地の港を見てみましょう。
画像の右にある黒っぽい水門みたいなのが明治期に建造された3号ドライドック(1874年)で、現在も現役で艦船修理に使われている。このフィルムが撮影された53年は朝鮮戦争の最中であり、軍港には米海軍の艦船がひしめきあっている状態で、空母や大小艦艇が港のあちこちに、それでも入りきらず港外にも沢山停泊しています。
この時代になると港の地形はほぼ今と変わらず、ドライドックの位置などから簡単に現在の場所を特定できますが、残念ながら当時撮影に入れた場所が今では失われたり立ち入り禁止になっており、全く同じアングルの写真を撮ることは不可能になってしまいました。

横須賀本港4.jpg
3号ドライドックのすぐ横、この場所には明治期からクレーンが2つ存在しており、画像のクレーンの左にあった最古の30tクレーンは旧軍か米軍どちらによってかわかりませんが、既に取り除かれてしまったようです。画像のクレーンは明治21年(1888年)の時点でその存在が描かれており、少なくとも50年以上は現役だったことは間違いありません。参考までに、長崎大学の古写真データベースにこのクレーンの両方が鮮明に写っている鶏卵写真がありますので、当ブログの画像と比べてみてください。
この場所に潜水艦が係留されるのは伝統?なのか、現在でも海上自衛隊の潜水艦がここに係留されているのをよく見れます。

横須賀本港5.jpg
現在のほぼ上画像と同じ場所。クレーンはなくなり、斜めにカットされていた岸壁が四角形に埋め立てられましたが、航空写真で見るとその埋め立てた部分との境界線がはっきり確認できます。画像左奥の水色三角屋根の建造物は上画像の黒い建造物と同じもので、中身はともかくガワ部分は戦中から引き続き米軍によって利用されているのがわかります。 でもいずれここも老朽化で取り壊されてしまうでしょう。

最後に明治・昭和・平成の比較写真など〜
残念ながら全く同じ場所での撮影とはいきませんが、ある程度それっぽい感じの写真は今でも撮ることができます。
横須賀本港6.jpg
上から下で120年が経過しています。1〜3号ドライドックがそのまんま同じで、今の建物の元に何があったかも一目瞭然ですね。

横須賀本港3.jpg
横須賀本港の先端部分。時代によってズレはありますが、おおよその位置はわかると思います。上画像左のマストあたりが下画像潜水艦の先端あたりでしょうか… 中と下で右に見える建造物ですが、やはりこれも戦中からある旧軍の遺物です。長浦の倉庫もそうですが、こういった今も残されている建物は、取り壊される前に市で詳細に調査をしておいて欲しい(やってる?)ところですね。なにしろ一般人は決して中に入ることができないのですから。

posted by acj@管理人 at 11:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 横須賀の歴史

2009年05月04日

山崎山機銃砲台跡地

山崎山機銃砲台0a.jpg

このタイトルで検索して来られたコアな方達には今更説明など不要でしょうが、
神奈川県 横須賀市 京急堀の内駅すぐ側にある線路脇の小高い山、画像で見てもただの森にしか見えませんが、太平洋戦争中に海軍の防空機銃砲台が設置されていたそうです。 おそらく地元の方でもそれを知る人は少ないかもしれませんが、私がその存在を知ったのもつい最近のことでした。 ネットで検索しても地方の1機銃陣地のことについて詳細な情報を得るのは難しく、こちらのHPでその存在を表の上で確認出来るくらいです。 当然のことながら現地で遺構調査などをされたサイトも見つかりません。 


大きな地図で見る
Googleマップは少し古めの航空写真が使われているので山の左手に工場が見えますが、近年この工場を壊して跡地にマンションが建設… されるはずでしたが、建設前に請負業者が倒産してしまい、2009年時点で更地で放置されたままだったりします。

山崎山機銃砲台0b.jpg
しかしながら、倒産までに行われた造成工事で山の半分までが削り取られコンクリートで固められ、遺構や壕があったかもしれない場所の半分は永久に失われてしまいました。 願わくば造成前に、お隣の大津町の遺構を調査したような発掘調査を横須賀市でやっておいてくれたことを祈るしかありませんが、果たしてそれは行われたのか…
最近の横須賀市(神奈川県?)は財政難なのか市有地の切り売りラッシュが続き、市全体でこういった大規模造成工事が行われていたりします。 その影で、記憶から忘れ去られた小さな戦争遺物が調査・検証されることもなく破壊され、姿を消してるのかもしれないと思うと非常に残念でなりません。

山崎山機銃砲台0.jpg
線路とは反対側から山崎山を望む。
崩落防止のために固められたコンクリート壁が無残ですが、山頂の半分はまだ手付かずで残されているみたいです。 もし陣地が山頂にあったとしたら、まだ残されている可能性はあります。 そして、撮影していて気がついたのですが、コンクリート壁の中央部分をよく見ると階段みたいなものが・・・

山崎山機銃砲台2.jpg

その場所に接近すると、以前は工場だった場所が駐車場となり、壁越しにそれをよく見ることが出来ました。 下の入り口はトタン板みたいなもので塞がれていますが、確かに山頂へ登るための階段があります。 何のために設置したのかはわかりませんが、ここを登れば遺構調査も可能か!? ただし、一般人が断りなしに登れば不法侵入になってしまいますから、残念ながら道路からの撮影が精一杯でした。

山崎山機銃砲台1.jpg
これも現地を直接見て再確認したのですが、階段の作られたコンクリート埋め立ては途中で途切れていました。 どうやら工場の建物のおかげで全体を塗り固めることが出来なかったのでしょう。 ちなみにこの工場は30年以上前からこの場所にあり、後ろの崖も当時のままです。
今は草が生い茂って見えませんが、実は10mくらい上…工場の建物のすぐ後ろあたりに壕の入り口があったりします。

山崎山機銃砲台3.jpg
なにぶん小学生時代のことなので記憶が定かではありませんが、当時はこんなに草は生い茂っておらず、道路からも壕の入り口は見ることが出来ました。 崖の真ん中あたりにポツンと穴が開いており、子供心に興味を引かれたわけですね。 で、格好の秘密基地探しのネタになると(笑)
たしか積み重なった資材の上あたりに入り口があったはずです。 当時見た記憶では、中へ入ってすぐに工事資材のゴミが積まれ塞がれていたのですが、上に隙間があり大人が寝そべって入れるくらいのスペースがありました。 私はそこから奥へ入ったことはないのですが、かなり広いスペースで通路と部屋がいくつかあり、噂によると山のどこかへ抜ける道もあったとか… 造成で潰される前にこの壕が何だったのか、どこかで調査をして欲しいところですが、この程度の壕では市役所などがそんなことをする可能性は極めて低いでしょうね。


現在、この砲台について最も詳しく調査?されてるであろうサイトを見つけました。 三浦半島の旧軍施設や遺構といった戦跡を独自に調査・記録されているようです。

posted by acj@管理人 at 21:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 横須賀の歴史