2014年07月22日

続・萌える艦内新聞

前回の、戦前の艦内新聞には今の萌え絵の元祖的な美人画が沢山!というネタに続いて、今回は艦これのような軍艦擬人化は戦前すでにネタとしてあったというお話です。

愛宕.jpg
こちらが艦これでお馴染みの愛宕さん、そして〜

愛宕新聞1.jpg
これが戦前(昭和9年)の艦内新聞に描かれた愛宕(アタ子)さん。
さすがに艦これのような人間そのままの姿にするという発想には至らなったものの、これは「きかんしゃトーマス」に近い発想でしょうか。愛宕が所属する第2艦隊の短艇競技会に向けて書かれた記事の1コマで、同型艦の高雄(タカ夫)くんをライバル視している様子がよくわかる絵となっています。
なんというか、軍艦を萌え絵にしてゲームのキャラクターにするのは不謹慎かどうかはともかく、当の軍艦の乗組員が嬉々としてこういうイラストを描いて新聞にして配っていたという事実は、もっと知られても良いかもしれません。 ちなみに、このイラストも一部の水兵が悪ふざけで描いたわけでは決してなく、上官にあたる編集長(主計少佐)のチェックを通って発行されている新聞ですからね。少なくとも当時の艦内では、自分の艦の擬人化が不謹慎という風潮はなかったと考えても良いと思います。


次は、同人誌ネタでは定番?のトレパク疑惑。なんとまぁ、まさかこんなネタまで艦内新聞で見つけてしまうとは私も予想外でした。ます下の画像〜

赤城新聞.jpg

元ネタのニュース記事がすでに消えてるので、別のサイトから画像だけ引用しましたが、4年ほど前に空母「赤城」の艦内新聞見つかる 戦況記事に並び娯楽もというニュースがasahi.comに掲載された際、確かこの画像が貼られていたと記憶しています。
これは昭和6年の赤城新聞の一部なのですが、手前の籐製の椅子に腰掛ける少女のイラストをなんとなく憶えていまして〜 すると……

愛宕新聞2.jpg

今回入手した愛宕新聞に、椅子に腰掛けるそっくりな少女のイラストが〜 (笑)
赤城新聞が昭和6年で愛宕新聞が昭和9年ということで、より古い方を元ネタとすれば下の愛宕版が模写した可能性が出てくるわけですが…… パクった方がパクられた方より絵が稚拙っぽく見えるところも、トレパク疑惑ネタではありがちなパターンw
果たして愛宕新聞の絵師が赤城新聞の絵を知っていたのか? 模写したのか? それともどちらの絵も当時の少女雑誌みたいな元ネタがあって、その中の挿絵を模写しただけなのか?
考えられるパターンは幾つかありますが、元ネタのイラストが掲載された本でも見つからない限り、80年後の私達が絵から真相を解明することはまず不可能でしょうね。

以上、今回は続編として今の同人誌にも繋がるような擬人化とトレパク疑惑のネタを艦内新聞からピックアップしてみました。
posted by acj@管理人 at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事・歴史

2014年03月21日

75年ぶりに長門應援歌成る!!

歌へ!!いざ声高らかに・・・・・・

長門 応援歌.jpg
長門應援歌(昭和14年) 作曲:第1艦隊軍楽隊

去年からの艦これブームで、戦艦大和や金剛の艦歌が脚光を浴びてる最近ですが……。 実はこの艦歌というジャンル、CDやレコードで数多く残る帝国海軍の軍歌や行進曲とは違い、軍艦の乗組員が内輪で歌う楽曲だったためか、現存しているオリジナルの楽譜や録音が非常に少なく、今も謎の多いジャンルだったりします。
例えば、私が所蔵している長門の艦内新聞にも、歌詞のみ掲載されているページが複数あるのですが、これもおそらく乗組員の中で口伝されていた旋律があったのでしょう。 その大半は式典で軍楽隊が演奏する曲でもなく、おそらく楽曲の管理もそれぞれの艦でされていたため、戦没等で艦を喪失した際に譜面や書類も失われてしまったのだと思われます。

今回、75年ぶりにそのメロディーが甦った長門應援歌は、たまたま艦内新聞の編集員が五線譜つきで掲載してくれたおかげで、現代の音源で復活演奏が可能になりました。 この應援歌は、短艇競技会の応援で歌うために作られたようで、作曲が第1艦隊軍楽隊となっているため、ひょっとすると吹奏パート譜がどこか別の場所に残されているかもしれないですね。

というわけで、ラッパの伴奏による應援歌をMidi音源で再現してみました。


前奏:トトトト  トタテチ  タタタタ  タトテチ
ワレヒッ ショウノ〜 イキニ  ミチ〜
ワレタイ ショウノ〜 ネツニ  モユ〜
ナガト  ナガト   ワガナガ ト ヒッ
ショ〜  〜ムテ〜  キ〜   〜 ワガ
ナ〜   ガ〜    ト〜   〜

************

原曲がラッパの伴奏のみなので、私の方で軽くオーケストレーションを加えて、勇壮な感じに仕上げてみました。 ただし、曲自体は公式行事や式典で歌うようなものではないため、実際の演奏は譜面の通り……乗組員達の歌にラッパが伴奏をつける程度だったと思います。

GM音列準拠のMidiファイルも置いておきますので、もし興味のある方は音源を替えて演奏してみるとか、私のような素人アレンジでなく、きちんとした楽曲に仕上げてみるのも面白いかと思います。
長門 応援歌 rev2.mid

2014/4/18 音源データを差し替え
posted by acj@管理人 at 10:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事・歴史

2013年09月17日

再利用された旧軍施設

ここしばらく艦隊これくしょん(艦これ)効果というべきでしょう、過去に書いた軍事関連の日記から、海軍に関係したものに多くのアクセスがあるようです。 そこで今回は、帝国海軍に関係する小ネタを1つ紹介してみたいと思います。

まずはこの写真を御覧ください。

大鯨01.jpg

昭和40年代の横須賀海軍基地で撮影された、とある建物の写真ですが、ぱっとみて何か別のものに見えませんか? この時点でなにかわかった方は相当な観察眼の持ち主ですが、ネタバレするとこの建物…

実は、とある軍艦の一部分を移築したものでして、その正体は帝国海軍の潜水母艦「大鯨」の艦橋と前檣なのだそうです。 大鯨は横須賀海軍工廠で1941年から42年にかけて航空母艦「龍鳳」へ改装されたのですが、その際に撤去された艦橋部分を、基地の対空監視塔か何かに転用したらしく、戦後は米軍がヘリポートの管制塔として利用していたようです。



現在の横須賀基地の航空写真と照らしあわせると、おそらくヘリポート[H]付近にあったと思われますが、現在そこには別の管制塔が建っているため、残念ながら写真の艦橋はだいぶ前に撤去されてしまったようです。
よりしろのふ・帝国陸海軍現存兵器一覧 サイト内の「謎?の物件」コンテンツに、この艦橋についての情報と出典元が掲載されていますが、それによると昭和16年(1941年)頃にそれらしき艦橋はまだなかったそうです。 ちなみに大鯨は、41年12月20日から航空母艦への改装に着手、42年11月28日に改装を完了しているため、その間に艦橋と前檣部分が取り外されたのは間違いありません。

さらに昭和19年(1944年)11月1日、B29(偵察型)によって撮影された横須賀基地の航空写真で地図と同じ場所を見たところ、それらしき建物がありそうなのは赤丸の部分くらいですが、残念ながらここだという確証は得られませんでした。 あるいは戦後、米軍がどこか別の場所にあった艦橋を、ヘリポート建設の際にここへ移築したのかもしれません。

大鯨02.jpg

横須賀基地ではガントリークレーンやドライドック・スチームハンマーなど、多くの旧帝国海軍の施設が米軍によって引き続き利用されましたが、このような日本人の知らないところでその役目を終えて、ひっそりと消えていった施設も多かったようです。

posted by acj@管理人 at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事・歴史

2013年04月13日

萌える艦内新聞

今日は久しぶりに軍事のネタで珍しいものを〜

長門新聞1.jpg
1939年9月、第二次世界大戦勃発のその時まさに大日本帝国軍艦『長門』の艦内で発行されていた艦内新聞で、およそ80号くらいのセットで1冊に綴じられています。
艦内新聞とは旧海軍の艦船で発行されたミニコミ紙で、当時乗艦していた腕に覚えのある乗組員数名が編集兼発行人となり、航海中にガリ版刷りの新聞を艦内で配布(販売)していたそうです。 今回紹介する長門下甲板高角発令所内で編集・発行された『長門新聞』は、太平洋戦争前の1939年発行ということもあってか、勇ましい戦況報告や国威発揚の色合いは薄めで、どちらかというと艦内の日常業務や停泊地でのちょっとした出来事、読者(乗組員)による投稿作品といったほのぼのとした内容が多くを占めている感じです。
そんな中でも目立つ記事といえば、男ばかりの世界である軍艦ですから、やはり女性を題材にした記事や挿絵の割合が多くなるのは必然でしょうか。 この艦内新聞でも絵心のある水兵2〜3人が持ち回りで美人画…というか、これは今で言う萌えイラストの元祖みたいなものですね。 様々な女の子のペン画イラストが誌面に登場しますが、これらは今の自衛隊でも見かける萌え広報イラストやパーソナルマークへと、世代や組織を超えてなお脈々と受け継がれているのかもしれません。

長門新聞2.jpg
今の萌えイラストに慣れた身としては鼻の描き方にどうしても違和感を覚えてしまいますが、当時の映画女優のような髪型や服装など、割と正統派の美人画っぽいタイプですね。

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スキーをする女性は当時流行の最先端? ストックが竹製なのが時代を感じさせます。

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お団子っぽい鼻の形状を少し手直しすれば、ひと昔前の少女漫画の挿絵イラストと言っても十分通用するかもしれません。 数ある美人画の中でもこの1枚だけ髪の描き方がちょっと違っていて、思わず上からホワイトで横に風になびくラインを入れたくなってしまいます。

長門新聞9.jpg

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この絵師(第4分隊の一等水兵らしい)はおかっぱ少女フェチ… というか、これが当時の標準的な少女の髪型だったのでしょう。 セーラー服にブレザー?という少女と制服の組み合わせは、いつの時代も変わらぬ萌えの基本形態であります。 それにしてもこの絵師は、挿絵にする題材も10代の女の子が大半という嗜好の徹底振りといい、もし今の世なら萌え萌えな薄い本をバリバリ描く人気壁サークル作家になっていたかもしれません。
だがしかし〜
長門新聞7.jpg
軍艦乗りは健康第一というのはよくわかりますが、なぜそれを少…幼女で表現する必要があるのか。 よく主任編集員の士官(中甲板士官の持ち回りだったらしい)の校正チェックを通ったよなぁw

長門新聞4.jpg
読者投稿のポエムに挿絵をつける、ちょっと前の投稿系アニメ誌の元祖みたいなコーナーもあります。 長門新聞では編集室の前に投稿箱を設置して、水兵達が書いた川柳や自作短編などを投稿してもらい掲載するコーナーを設けており、だいたい20号に1度くらいの割合で投稿を集めた号外を発行することもあったようです。

長門新聞5.jpg
帽子に『な・が・と』の3文字が書かれた3人娘、これはマスコットキャラの元祖みたいなものか? これが進化して行き着くところまで行くと、MCあくしすの軍艦擬人化イラストに〜 なるのかなぁ。


というわけで、今回は艦内新聞に描かれた数多くの美人画の一部を紹介してみましたが、長期の遠洋航海などの際に艦内で新聞を発行する習慣は、今の海上自衛艦でも受け継がれているのでしょうか。 今は乗組員同士でSNSやTwitter、メールで遠く離れた故郷の家族とも一瞬で文字のやり取りが出来る時代ですから、あえて新聞という紙の形態にこだわって発行する必然性は薄くなっているかもしれないですね。

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posted by acj@管理人 at 07:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事・歴史

2010年02月27日

ヘルマン・ゲーリング師団写真集

本日2月27日発売のガリレオ出版グランドパワー4月号に写真とキャプションを寄稿しました。第2特集のヘルマン・ゲーリング師団写真集(後編)というのがそれで、私からは30枚ほどの写真とそれに付随するキャプションを提供しています。
冬コミ以降にこの件の入稿・校正があり同人活動の方は中断していたのですが、コレクションの写真を掲載しているという意味では場所が商業誌になったというだけで、実は同人活動の延長みたいなものかもしれません。

GP_HG1004
1943年 モンテ・カッシーノ修道院にて

それと、今回の後編に先立ち09年12月号では前編を第1特集として掲載して頂き、前後あわせて私の所有するゲネラル・ゲーリング連隊〜ヘルマン・ゲーリング師団の写真のほとんどを使用しています。 ちなみに、前編では珍しい警察連隊GGの軍装写真、降下機甲補充・教育旅団2HGフリードリヒ・マイアー大佐の戦前に撮影されたプライベート写真、後の降下猟兵砲兵連隊の基礎となった降下大隊GGの戦前期の未発表写真など、私の分だけで80枚以上の写真を提供しました。

GP_HG1004
1941年6〜7月 連隊GG第2あるいは第3高射砲中隊 in ロシア

商業誌ではありますが、これらはゆめみ〜あい別館の同人活動がきっかけとなって動き出した特集企画なので、そういう意味では同人活動の延長として考えられるかもしれません。写真誌なのでお値段少し高めですが、もし興味がありましたら書店にて見てやってください。

posted by acj@管理人 at 07:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事・歴史