2009年02月21日

昭和24年の永田町・日比谷

前回の銀座・有楽町から続き。同じ金属製マウントでフィルムの色あいも似ているので、おそらく同日中に撮影されたものでしょう。

国会議事堂.jpg

言わずと知れた国会議事堂(永田町)の正面入り口です。興味深いのは門の部分を拡大してみると・・・

国会議事堂up.jpg

ジープっぽい車が写ってますが、占領軍の公用車ですかねぇ。これもきちんとフィルムから紙焼きすれば正体が掴めるかもしれませんが、デジカメ接写ではこれが限界です。

皇居.jpg

これもまぁ・・・見ての通り皇居(千代田)の御堀です。特に説明はいらないですね。

帝国ホテル.jpg

帝国ホテル、1923年竣工のライト館正面玄関(日比谷) 当ホテルは戦後GHQにより接収されたので、画像はその占領時代に撮影されたものでしょう。現在は博物館明治村に、この正面玄関部分のみが移築され現存しています。
その現在のライト館の画像は、愛知県は遠すぎて現地へ直接見に行くことは出来ませんが、ネットで検索すれば公式サイト以外にもこういった個人ブログやホームページ等で沢山見ることが出来ます。本当いい時代になったものです。

庭園.jpg

これは場所がよくわかりません、帝国ホテルの庭園?


以上でカラースライドロットの東京編は終了です。元々数が少ないのでこのくらいしか紹介する画像がなかったのですが、被写体が有名建造物ばかりなので、場所等が判明しやすくブログの記事として使うには最適でした。

同ロットの大半を占める横須賀軍港編は地元ということで、撮影位置の特定や現地撮影もある程度出来そうなので、そちらを記事にするともう少し面白いものが出来上がるかもしれません。頑張って追跡調査をしてみようかなぁ。
posted by acj@管理人 at 10:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事・歴史

2009年02月20日

昭和24年の銀座・有楽町

日本劇場.jpg

非常に美しいこのカラー画像は、昭和24年の東京でおそらく米軍関係者によって撮影された日本劇場(通称:日劇)です。 位置的には現在の数寄屋橋対岸から有楽町マリオン方面に向けて撮影したものでしょうか、昭和8年竣工の建物は戦前の着色絵葉書などにも数多く残っており、当時の東京を代表する有名建築物でした。 戦災とGHQによる接収を免れた劇場は、そこだけを見るととても戦後4年目の東京とは思えない美しさですが、これはモノクロ写真でなく鮮明なカラー画像の効果によるところ大だったりします。

この画像は、朝鮮戦争当時に米海軍横須賀基地へ配属されたある水兵が、日本を含めた極東地域で個人的に撮影して本国へ持ち帰った、100枚以上のカラースライドから選んだ1枚ですが、箱に収められ大事に保管されてたおかげでしょうか、60年経った現在でも発色の抜けがほとんどなく、ほぼ無加工無修正でファイル化することが出来てしまうほどです。

日本劇場 up.jpg

劇場の表看板を拡大してみました。
スライドをデジカメのマクロモードで接写しているので紙焼きほど鮮明にはなりませんが、それでもこの時に公演されていた演目は判明します。 "エノケンの無茶坊辨慶" ちなみに辨慶は旧かなで、今でいう弁慶のこと。 その演目で検索をすると…

"エノケンの「無茶坊弁慶」(12景) 日本劇場 1949/10/11-28"

公演の演出・脚本・音楽を担当された三木鶏郎氏の資料館ページから、49年(昭和24年)10月11日〜28日までの公演期間の情報が得られました。ということはこのフィルムの撮影時期も、おのずとその期間内になるというわけです。ひょっとするともう少しきちんと画像を作れば、三木氏の名前も看板に表記されているかもしれないですね。

朝日新聞本社.jpg

こちらは日本劇場の隣に存在した旧朝日新聞社社屋を数寄屋橋側から撮影したもの。昭和2年竣工の本建築物も取り壊され現存していないので、鮮明なカラー映像は貴重だと思います。それと、今この場所から定点撮影をしたくとも、おそらく首都高速の高架橋が立ちはだかり不可能でしょう。

テアトル銀座.jpg

東京興行株式会社(東京テアトル株式会社)による、昭和21年開館の映画館テアトル銀座。詳しくはわからないのですが、現在の銀座テアトルビルあたりになるのでしょうか。 看板に描かれた映画"ターザンの怒り"が日本で配給されたのが1949年(昭和24年)10月、日本劇場の公演時期とぴったり一致します。


とりあえず3枚ほど東京の有名どころの景色を抜粋してみました・・・が、実はこのスライドの元所有者の水兵が横須賀基地へ配属されたのは撮影年の3年後、1952年後半あたりからだったようで時期的に一致していないのです。おそらく仲間内でスライドを交換等したとか、絵葉書などでよくある東京名所シリーズのような記念品として外国人向けに売られていたスライド集だったとか、国会議事堂や皇居の御堀や日本庭園など、あまり個人撮影には見えないようなスライドが何枚かあるのみなので、もしかすると日本人が知らないだけで複写されたカラースライドが米国本土にはまだまだ沢山眠っているのかもしれません。

なお、一連のスライドロットで東京を撮影したものは8枚程度しかなく、他のほとんどが米海軍横須賀基地とその周辺となります。 朝鮮戦争当時の基地内ということで、大量の軍艦や軍施設がフィルムに収められているのですが、そちらは次の機会に〜ということで。

現在の日本劇場(跡地)
posted by acj@管理人 at 16:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事・歴史

2008年10月28日

63年振りに戦艦長門が日本へ帰ってくる

戦後、核実験の標的艦となりビキニの海底に沈んだ戦艦長門がサルベージされ帰港する!! なんてことはなく、長門の一部であった書類が横須賀に帰ってくるという話なんですけどね。
先日、インターネットで海外のサイトを見ていたら、アメリカからこのようなアイテムが売りに出されているのを偶然見つけました。

決算報告書

日本人なら表紙を見て即座にわかるでしょうが、昭和12年6月分の軍艦長門:第一士官次室食卓決算報告、長門乗艦の下級士官達がその月に消費した食費やら雑費やらを記載、領収書を添付して報告した出納帳です。 表紙上部には当時の長門艦長であった鮫島具重大佐と主計長の認印を確認出来ます。

ご存知のように長門は太平洋戦争を生き残った唯一の戦艦であり、横須賀で特殊警備艦として係留・沿岸防御砲台として終戦を迎えました。
この書類は終戦後、横須賀軍港に進駐した米軍が1945年9月3日に基地(艦?)から押収したものだそうで、長門の接収(軍港への進駐)が8月30日ですから、その後の占領過程でこの書類が押収されたようです。 それがなぜ今更、持ち去ったアメリカから出てきたのかは不明ですが、どうやら誰かから出品者である古物商へ売りに出されたようで。 それが今回ネットに出回って私の目に偶然留まったわけです。

というわけで、この貴重な戦艦長門のアイテムを逃してはならないと、偶然の機会を逃さず購入に踏み切り、なんとか入手することに成功しました。 実はこれの販売者は、何を勘違いしたのか商品名を重巡洋艦"利根"のアイテムと書いてたんですよね、知り合いの日本人に鑑定してもらったと言ってたのですが、なぜそんなことに?? …とまぁ、もはや過ぎたことですから、そのへんのツッコミはいいでしょう(笑)

そして本日、出納帳はアメリカから63年振りに故郷の横須賀(自宅)へ帰ってきました。
ちなみにこの書類… 長門アイテムというのもあるのですが、中に貼ってある領収書の類がほとんど戦前の横須賀にあった(今も現存する)商店名でして、そちら方面の検証に使いたいとも考えてたりしました。

士官名簿
WIKIにある1937年(昭和12年)の長門の写真に、この方達も写っているのでしょうな。

飲食品目
特務艦間宮からの嗜好飲食品代金の請求書。当時の軍艦乗りのおやつ?の一覧…というか間宮で販売してた品目がわかってなかなか興味深いですな。

それにしても、記載されている商店の大半は住所などが旧名で今のところ確認出来ていないのですが、ひとつだけ今も横須賀中央の駅前一等地にある時計店やレコード店の領収書が添付されてたのにはちょっと感動しました。 やはり横須賀は海軍と繋がっていたんだな…と。
その後〜
posted by acj@管理人 at 16:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事・歴史

2008年06月23日

70年前のカラーフィルムを検証する

第2次世界大戦、当時のフランスは1940年6月にナチスドイツに無条件降伏、以後44年まで国土の大半がドイツの占領地となっていました。

戦前からライカなどのカメラで有名なドイツは、写真大国の名の通り一般へのカメラ普及率がかなり高かったようで、当時の軍隊としては非常に珍しいことに、兵士による私物カメラの持込が認められているほどでした。 そのおかげで、占領地となったフランス各地に駐屯するドイツ兵達が撮影した、膨大な数のプライベート写真を後世へ残すことになりました。

写真A.jpg
写真A
この画像はそんなプライベート撮影の中の1つ。
実は数は少ないのですが、驚くことにドイツではアグファ製のカラーフィルムが(高価ではありますが)既に一般化されており、このような感じで普通に、一般家庭にカラーフィルムが残されていたりするのです。 ただし当時はまだカラーを印画紙に焼き付けるのではなく、撮影されたフィルムはポジ状態にして、それを映写機で鑑賞するという方法をとっていました。

とまぁ、フィルムや歴史背景についての薀蓄はともかく、この写真Aは特に景色が美しい場所で、どこの山頂?から撮影したのかと、そのロケーションに非常に興味があったりしました。このフィルムの出所がフランス経由ということを考えると、おそらくスペイン国境近くピレネー山脈あたりと推測していたのですが…。
調べた結果、その予想通りフランス・スペイン国境のある、ラ・リューヌ山(La Rhune)の山頂から北東方面へ撮影したものと、最近やっと判明しました。 シチュエーション的には、被写体の陸軍将校のどちらかの私物カメラで従兵が撮影したものでしょうか。どうやらラ・リューヌ登山鉄道で観光にでも来たみたいで、眼下にはその登山鉄道の路線が見えています。

さて、ここまでおおよその場所がわかると… 今のネットの技術を駆使すれば、家に居ながらにして航空写真で撮影ポイントまで特定出来てしまいます。


大きな地図で見る

ぐぐってMAPを表示したら、左下の写真Aポイントがおおよその撮影場所とわかりました。 ちなみに白線がフランス・スペイン国境で、山頂付近は中立国スペイン軍が駐屯していました。

1枚の位置が確定すれば、おのずと残りの景色写真も場所が確定されます。

写真C.jpg
写真C
MAP右の写真Cポイント。 ここは岩の隙間を登山鉄道が走る絶景ポイントのようで、この奥の山頂が写真Aポイントとなります。 ちなみに、ほとんど同じロケーションで現在の風景がこちら。
432646259_36.jpg
70年の間に山頂に建物が出来て、山の植林〜緑化も進んでいるみたいです。

写真E.jpg
写真E
写真Cポイントの岩山を抜けて後方を撮影。撮影者はどうやら車輌の先頭位置に立っているみたいです。

写真D.jpg
写真D
写真Aの左下に見えてる農家か駅舎らしき場所。MAPの写真Bポイントあたりに存在していたようですが、航空写真で見ると今はもう建物はなくなってしまってるみたいです。 これを写真Dポイントの位置から北に向かって撮影してみたいです。

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というわけで、このように観光名所や有名な建築物を撮影した写真は、ヨーロッパだと現在でもほぼそのままのロケーションで残っていることが非常に多くて、当時の写真を現在と比較したりするのが比較的容易だったりします。
ましてや今のネットの普及と進歩は驚くべきもので、 このように、個人のブログ等からでも写真や映像を検証することが出来てしまうのですから、本当にいい時代になったものです。
ただ、でもここまで具体的に場所がわかると、実際にこの目で同じ場所を見てみたくなりますよね。 もしかするとこの将校達の残した足跡… 腰掛けた岩場まで、自分の足で辿ることが出来るかもしれないですから。

写真F.jpg

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参考リンク : ラ・リューヌ山の公式サイト(英語)

検索してみると〜
posted by acj@管理人 at 23:20| Comment(1) | TrackBack(0) | 軍事・歴史